合併から2年、周囲に気を使いながら会社生活をしてきましたが、
気をつかいすぎる生活って疲れますよね。
そんなこんなで、早期退職をすることに決めました。
いざ決めると、すっきりするものですね。
ただ辞めてからどうするかを、真面目に考えてなかったのは、ミス
でしたね(笑)
退職3ヶ月前から、毎日とは言いませんが、それに近い頻度で送別
の会、お別れ会、お別れゴルフなどなどがあり、少々お体にはよく
無かった頃でしたね。
合併から2年、周囲に気を使いながら会社生活をしてきましたが、
気をつかいすぎる生活って疲れますよね。
そんなこんなで、早期退職をすることに決めました。
いざ決めると、すっきりするものですね。
ただ辞めてからどうするかを、真面目に考えてなかったのは、ミス
でしたね(笑)
退職3ヶ月前から、毎日とは言いませんが、それに近い頻度で送別
の会、お別れ会、お別れゴルフなどなどがあり、少々お体にはよく
無かった頃でしたね。
企業合併というのは難しいですよね。
テレビドラマでも、元企業間のどろどろした主導権争いなんかがあり
ました。
「倍返し」という言葉が有名になりましたね。
風土の違う会社が一緒になるわけですから、お互い仕事の仕方も
違ってますので、一緒になってなかなかねぇ。
とはいうものの、一緒になってしまったわけですから、頑張らねばと
思いました。
ただ、優良企業同士の合併ではなかったので、すんなりとは行きま
せんでしたね。
とある企業との合併で、群馬に転勤することになりました。それは
2003年7月です。事前に同じ部署になる方たちとは面談していまし
たが、それでもいざそこに入りとなるとねぇ・・・・・・。
最初は緊張に連続、皆さんの性格もさっぱりわかりませんからね、
相手の方々もそうだったとは思いますけどね。
まぁ慣れるしかない、それだけでした。
そして時間がたって、気持ちを入れ替えるために、旅行に行くこと
に。
場所はハワイ、初めてのハワイ旅行です。
行ってみたかったのは、ハワイ島の頂上、そうスバルがあるところ
です。
寒かったですね。
真ん中の写真が夏の星座で天頂付近を通過する「こと座」です。
天体写真の撮影を始めた17才の時に白黒フィルムで撮影した
もの。
一番明るいのがベガ、七夕伝説の織姫さんにあたります。
昔はたった20秒の露出でもこんなに写っていたんだなぁ、暗か
高校3年生の1971年9月27日、母に買ってもらった一眼レフカメラ、
今では存在しない「ペトリFT」と言う名の名機???で月を写し
ました。最初の天体写真ですね。
その前に買ってもらった望遠鏡を使っての撮影でした。
感度100の白黒フィルムを使っての撮影。
いまと隔世の感がありますね。
今年になって未成年の悲惨な事件が、最近の千葉の事件、川崎の
事件とあいついでいますね。
いろんな要素が絡み合っての事件なんでしょう。これがという決定
的な原因はないのかもしれません。
弱い者いじめが、度をこえての結果かもしれませんが、そうなる原因
は家庭内にあるのかもしれませんね。
昔、積木崩しなんてドラマもありましたね。
家庭内でのしつけ、育ち方が原因のかなりの部分を占めるような気
もします。
小学校のころ、少し知恵おくれの同級生がいました。当時は一緒に
通っていましたね。現在だと別々の学校に行ってるしょう。
その子は、周りが知恵おくれだとわかっていて、気をつかって一緒に
遊んだり、勉強を教えていたりしていました。
そんな子をいじめようなんて、これっぽっちも考えたことはありません
でしたね。
どうして、こんな時代になってしまったのか、ちょっと悲しいですね。
過去帳というものが、おそらく実家の兄の家には保存されているん
ろうけど、私のルーツというものは、はっきりと確認できていません。
母は実家から数kmのところで生まれ育ちましたが、母の父はそこで
先生をしていたらしい。根っからの地元の人だったようです。
かたや父の父は育ったのは、私の本籍である故郷のようなんですが、
父の父の父は、南のほうからやってきた人だったようです。
詳しいことは?????(笑)
最近の人たちは、自分のルーツというものをあまり気にしないので
しょうかね。
父が大正5年生まれ、ということは父の父は明治10~20年代生まれ、
19世紀ですね。
どこで生まれて、どういう生活をしていたのか、なんとなく気になりま
すね。
名字から、祖先はどうも○○水軍のという話も聞き及んでいるんで
すが、はっきりはしていませんね。
いつか田舎に帰って兄貴に聞いてみたいと思う今日この頃なんです。
前にも書いたけど、26才の時に父は亡くなりました。
母には申し訳なかったけど、本当の病名を言わず、余命も言って
なかったのが、今でも悔やまれますね。
その父は農家の主として、農業に徹していました。
妻、子供5人を育てるために、体の疲れも気にせず、米、野菜、果物
つくりに邁進していましたね。
その結果が63才という若さで亡くなるという代償になってしまったのは
重ね重ね悔やまれるところです。
私は、その父の姿を見て育ったわけで、男は仕事にまい進するんだ
と、しかし、それが自分の子供に対してはどうだったのかなぁと最近
ちょっと後悔するところでもありますね。
まあ、いまさら遅いですが、男子供二人には、これからも精一杯生き
て欲しいなぁと思いますね。
二男が先に結婚しました、長男は?当分結婚しないなぁ・・・・・・。
「母がまだ若い頃 僕の手をひいて・・・・・♪」
さだまさしさんの名曲「無縁坂」の詩の一部です。
母の記憶は、家族の為に一生懸命野良仕事に励んでいた姿、
、そして病気で72才で亡くなる前、意識不明でベッドに横たわ
っていた時、ほほに「ありがとう」とキスをしたことかなぁ。