2002年は、一年後の企業合併のことが気になって、なんとなくしゃき
っとしていなかった年でしたね。
それでも九州を満喫するにはあと一年しかないということで、あっち
こっちを旅しましたね。
前述の鹿児島知覧あたり、大分由布院、熊本の阿蘇周辺、柳川、
島原、長崎福江島、佐世保やら、唐津などなど。
旅に充実していた一年でした。
2002年は、一年後の企業合併のことが気になって、なんとなくしゃき
っとしていなかった年でしたね。
それでも九州を満喫するにはあと一年しかないということで、あっち
こっちを旅しましたね。
前述の鹿児島知覧あたり、大分由布院、熊本の阿蘇周辺、柳川、
島原、長崎福江島、佐世保やら、唐津などなど。
旅に充実していた一年でした。
桜が間もなくかなぁと思っていた矢先、予想もしていなかった情報が
入ってきたのです。
それは企業合併の話、上層部ではすでに半年前ぐらいから話が進
んでいたらしい。
私たちに話が降りてきたときには、すでに既定の事実となっていたん
ですね。
どうなるんだろう、そんな気持ちを持ったような記憶があります。
そして、少しずつ合併に向けて話は進んでいったのです。
4年前のヘール・ボップ彗星と並び、わが人生においては、この瞬間は
まさに至福の時でしたね。
しし座流星群は、おおよそ33年周期ですから、次の33年後となると、
80才ぐらい、まだ元気かも知れないけど、その時流星雨が見られる
とは限りませんからね。
今回の大チャンスに天気も良くて、月の影響もなくて、そしてあふれ
るような流れ星を見ることが出来たことは、一生の思い出になること
でしょう。
一年前の4月から福岡の博多に単身赴任していました。
世紀の大イベントを見て写すには、ここではだめだ、明るすぎて。
しからば、やはり野辺山に行くしかない、ということで、仕事の
日程を調整して、流星雨が見られる前々日に東京に戻って、
野辺山に行こうと計画。
アッシャー博士の予想では、11/19(月)の朝に日本あたりで見られる
とのこと。
土曜日に福岡から戻ってと、そして11/19東京本社に出勤しないと
いけないが、午前中休みをとって、11/18~11/19にかけて徹夜で、
実行することにしたんです。
徹夜するには昼間寝ておく必要があるが、急に昼寝を長時間する
なんてなかなかできるものではありません。
それでも、意地と根性で昼寝をして、そして午後9時ごろ出発したのです。
小学校へは歩いて10分ぐらい、集団登校という形で、その地域に
住んでいる小学生が並んで登校、黄色い帽子をかぶってね。
学校の帰りに寄り道をして、キャベツ畑でモンシロチョウの幼虫を
さなぎを探していた記憶がありますね。
さなぎを見つけたら、持って帰って蝶々になるまで育てましたね。
近くには桑の木もあり、蚕の幼虫を育てて,成虫になって、繭を作って、
そして繭を破って蛾が出てきて卵を産んで・・・。
いやぁ懐かしい。
生まれ育ったのが四国の片田舎、海沿いではなく、山に近かったかな。
県庁所在地までは、10kmぐらいなので、そう田舎でもなかったかも。
ただ、半世紀ほど前のころでしたので、自給自足の生活をしていて、
いまとはおよそかけ離れた生活でしたね。
家には牛もいました、田畑を耕すためにね、お風呂は外にあって、
もちろん五右衛門風呂、お米を炊くのは、今では炊飯器ですが、
その当時はかまどで炊いていました。田舎では「おくどさん」と呼んで
いました。
ご飯を食べるにはいわゆるちゃぶ台を取り囲んで家族7名が正座して
食べてましたね。
クジラの肉が懐かしい、牛豚の肉なんてありませんでしたね。
思い出せば懐かしことばかりですね。
1998年のしし座流星群フィーバーが過ぎて、あっという間に一年が
過ぎました。
この年は昨年より流れることが期待されていましたが、世間の話題
からは消えてしまっていましたね。
それでも天文ファンは、どうなろうと深夜に出かけたのです。
極大日(沢山流れるだろうと予想される日)の前2日から、連続3日。
ここまで行動すると、家族からは・・・・・。
そしてその極大予想日は天気も良くて、深夜からおおよそ100個ほど
見ることが出来ました。一年前よりなんとなく明るいものがおおいなぁ
と思いましたね。
昨年に続き、秋、深夜、氷点下の野辺山行脚が終わりましたが、
大本命は2年後の2001年なんです。
科学の発達で、この2001年には日本で凄いしし座流星雨が見える
という予想が出ていたのです。
そして、その予想は的中したのです。
流れ星がたくさん流れるだろうと、世間も話題になりました。
そしてその当日の深夜、野辺山に出かけたのです。
朝まで、東の空が白むまで星空を眺めていましたが、結局
大騒ぎするほどの流れ星を見ることはできませんでした。
それでもおおよそ100個ほどを見ることが出来ました。
朝方3時半ごろには、大きな流れ星が見え、流星痕と呼ばれる
流れ星の後が、煙のように長い間みえました。
まぁまぁかな、来年、そして2001年に期待しようと、朝高速道を
東京に向かって、SAにはたくさんの人たちがいましたね。
たぶん、徹夜で流れ星を観望された方たちでしょう。
大彗星が去ったあと、話題をさらったのが「しし座流星群」でした。
この流星群は、おおよそ33年周期でたくさんの流れ星が流れると
以前から言われていました。
1966年には北米アメリカでたくさん見られ、その33年前、さらに
33年前にも見られたと。
その理由は、流れ星をもたらす彗星が33年周期で太陽に接近する
からだと研究されていたからです。
ただ、どのぐらい流れるかとか、いつごろがたくさん流れるのかとか、
そこまでの研究はなされていませんでした。
しかし、科学技術が、コンピューターが発達して、研究が進み、予想
出来るようになったのです。
そして、研究し、その予想を的中させたのが、英国の博士でした。
その名は「デイビッド・アッシャー」
1998年、その彗星と地球の軌道が交差する11月後半に、いつもの
ように野辺山に行ったのです。