フランス菓子とその考察

フランス菓子とその考察

レシピ、配合等の記載はしませんが、フランス菓子について暇な時に自分の勉強も兼ねて書き綴っていこうと思います。

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今、これを書いている理由を僕は明確に説明できません。

今日あなたのイチゴ畑とビター・バニラを読みました。


正直に感想を言いますと作品としては崩壊していたと思います。

恐らくあの文章はあなた自身の叫びなのでしょう。


そしてこうも思いました。


あなたはまるで僕のようだと。

あなたの叫びは少なくとも僕自身にはとても強く響くものでした。


僕はあなた以上に不器用な人生を歩んでいると思います。


僕も何度も何度も自分自身を呪い、挫折して生きてきました。

それでもまだ、歯をくいしばって前に進んでいるつもりです。


最初に掲示板で会ってから何年経つでしょう?

ときどきあなたの近況をネットで見ていました。

ただし声をかけるつもりはありませんでした。


僕は弱い人間なのであなたと励ましあうと自分を保てなくなると確信していました。


でも今はあなたと本当の友人になりたいと思います。

あなたとはもしかしたら僕にとって数少ない生涯の友人になれるような気がするのです。


人間の思考とは不思議なもので僕は文章から勝手に想像したあなたのイメージがあります。

恐らくあなたもあなた自身が想像した僕のイメージを持っていることでしょう。


それは実際とは大きくかけ離れていると思います。


あとはアイさんの判断にお任せします。

もしこれを読んでいればですけど。


last.fmというサイトでks_zzというユーザーが僕です。

連絡はそちらでお待ちします。


ただひとつだけ言っておきます。

僕に気を遣う必要はありませんよ。




ようやく色々な事を終える事ができた。

気がつけばずいぶん走ってきたものだ。


僕はいったい何を求めてきたのだろう。


他人からの評価か?

それともたくさんのお金か?

愛情か?


確かにタダで貰えるなら欲しいと思うだろう。

しかし何か違う気がする。

それらを手に入れた所を想像しても、けっして心から満たされると思えない。


僕は僕自身がやりたいようにやりたい。

ただそれだけの事なのだ。

どんなにきれいな言葉を並べても、きっとそこに行き着いてしまうのだろう。


社会に競争が必要な事も少しは体で理解できていると思う。

利益を追求する事が社会活動の本質なのかもしれない。


否定はしないし、できない。


制約があることを心地いいと感じることもある。

今までの全てに感謝できると思う。


僕はここから未知の領域に踏み込もう。

これから常に念頭に置くべき仮定は、

「本当は料理にも菓子にも技術など一切存在しない」

ということだ。


僕が向かう先はマイナスかもしれない。

でも心は踊ってしまう。

このほんのわずかな狂気はどうなっていくだろう。


7年後、店を開こう。

好きなアルバム名にちなんで、

「あなたのお気に入りの最悪なレストラン」

なんて感じが今の心境だ。


160°の方向へ。

やはり走り続けなければならない。

大切なのは批判する姿勢を崩さないことだ。

高見の見物を決め込むのでも、

本気で乗っかるのでもなく。

全てを受け入れて速く、速く、動き続けることだ。


僕は最初から何一つ持っていなかったんだ。














夏場の飲食店は年間通じて一番暇な時期のはずである。

そんな中私たちの店は従業員が減ったため売り上げがたたないのに忙しい日々が続いている。

同じオーダー量が入ってくれば人が少ない分当然質は低下する。


部下の中には忙しい週末を前に泊まり込みで仕込みをしてくれている者もいるのに状況は一向に好転しているとは思えない。

自分自身の力不足を感じると同時に、はたして自分には何が足りないのかさえ明確に見えないでいる。


仕事の効率を上げる選択肢が無いわけではない。

手作りする仕込みを既製品に一部変更すれば大幅に時間を短縮できるだろう。

ベースにするものを変更しようがお客様が多少の違いを感じることはあれ全くの別物と感じることは稀だろう。

そんな悪魔のささやきに耳を傾けたくなる瞬間が無いわけでもない。


しかしながらスタンスを変えることは二度と後戻りできない深みにはまってしまう気がしてならない。

かといって一緒に働いている人たちに報われない仕事をさせていて良いわけがない。



上記の葛藤を読み返して恐ろしく感じる事があった。


「お客様に対しての気遣いが優先されていない」


最も根本的であり、この業種の存在理由ですらあるお客様がどう感じるかという事を完全にないがしろにしていた自分がいた。

最初から答えは一つしかなかった。

そんな当たり前のことに気付いた瞬間だった。


身内を気遣うのはやさしさではないのかもしれない。

僕自身の見習い時代はどんな過酷な要求をされてもお前ならできると任せてくれた先輩の信頼が一番の糧だったはずだ。

人は必要とされるから頑張れるのだ。

彼らを心配するのではなくて、信頼してあげなければならない。


日記を書くということは自分の考えを客観的に見直せるとてもいい習慣だと思いました。