いつからだったかこのアニメにはまっていました。


銀魂


祝復活~~!!



くだらなさとハイテンポがたまらなくイイですはぁ~と


他にアニメを見てるわけじゃないので、

今時のアニメはクオリティ高いのかなあと思ったりもするんですが、

web評なんかを見ているとやっぱり銀魂のクオリティは平均から見ても高いらしいです。



―――以下ネタばれ含みます―――



多分ギャグ回から始まるだろうとは思っていましたが、


いやあ、期待を裏切らないですね!


空知先生お得意の(?)他愛ないネタを捏ね繰り回し引き伸ばし、

予想もつかないどうしようもない話を作り上げる、という…顔


(原作は読んでないんでどこがアニメの付けたしなのか分からなかったんですが)


どんだけヤムチャ好きなの!!

ヤムチャ愛だよね。

と思っていたら大人神楽…。


「女子三日会わざればパフパフしてみよ」


いいんですか?

名言です。

良い女子高生になりすぎです。

でも声のテイストは変わらないんですね。

最初の「フワァ~」で萌えさしてもらいましたけど、笑


こうして徐々に負の成長バロメータが上がっていく。

メイン3人中2人も濃かったはずなのに、脇役の濃さのせいでどんどん薄まっていく。



定春くんは今までで一番濃い扱いだったんじゃないですか。


「要するに尻尾にできたイボと本体が入れ替わったアル!」


はい?ww

EDのクレジットもイボ春、イボ勢、イボリン、イボになってたし!!


一番キツかったのはお妙さんですかね。

なぜってオチが哀れすぎることが容易に想像つくから。

近藤さん…どうなっちゃうんでしょうね泣き

でも、新八くん、よかったですねー。

動乱篇の時はヒラ隊士服だったのに成長してるじゃないですかー。

九ちゃん…コキンッって

バベルの塔建設しちまったのかena


「タマに触る練習」

「上は女、下は男」

「今は性別を越えた存在になれる新世界を、あの人たちと探している」


男の子は別にタマに触り合ったりしないよですね!?

そしてなぜかかっこいい。

おい~~~COMME des GARCONS

今回、何で都合よくお休み後ネタ?とか思っていたらワンピースネタだったんですね!

最近ワンピは読んでなかったから2年も経過してることなんて全然知りませんでした。


んでもって最後のシメはやはりこの人でした。


「とったどーーーー!!!」


なぜか敢えてキャラを被らせる方向に。

粗末なモノを付けるとキャラが被るってことは、ヅラのモノは粗末なの?ってツッコミたくなっちゃいますよねvv






最後の最後まで


「ええぇぇぇーー!!!!?」


という気持ちを楽しめる点がオツなアニメだと思います。






最後に、銀魂といえば主題歌ハート

OPもEDも期待してました!

私の好みとしてはOPはまあまあ、EDのが好きでした、ふふふ。

まあ全部聞いたら分かんないですけどね。

よりぬきのカートニアゴが好きだったのでちょっと勿体無かったですけどねー。



BGMおんぷ

serial TV drama:桃源郷エイリアン

SPYAIR:サムライハート(Some Like It Hot!!)

FLiP:カートニアゴ

文化欄にズービン・メータのインタビュー記事が載っていました。

来日中にあの地震じゃあ驚いたのではとも思いましたが、気になったのが、


「チャリティーコンサートを開けないものかと考えたが実現は難しいとわかった」


という部分。



――はい! ここから被害妄想はじまりますのでお気を付け下さい!



今、都内のコンサートホールのカレンダーを見ると、軒並み中止中止延期中止…。

いったい何故!? と思います。


ズービン・メータはかつて湾岸戦争でも命の危険を冒してまで現地に行き、

音楽によって人々の心を癒し、鼓舞した経験を持っているわけですよ。

彼がお金よりも得難く、勇敢で、熱い音楽ひいては芸術の情熱を伝道しようとしているのに、

なんでうちの国(のオケ界・文化界)はそれをキャッチアンドリリースするキャパがないんですか!?

はー…、絶対呆れられたよ、こうやって日本は文化的発展途上国のレッテルを張られていくんだ。

そう考えて、無性に悔しいです。


地震から早10日が経とうとしている今日、

停電などはありつつも東京は通常通りの生活を取り戻しつつあるように思います。

そりゃあ、生活は継続した時の中にあるんですからいつまでも停滞してはいられませんし、

とても自然で当然のことだと思います。


地震の心配をしていつまでも家に閉じこもっているわけにはいきませんし、

震災津波の被害にあい、悲しみと苦境の中に生きている人たちがいることを忘れるわけでもありません。


自粛や安全管理という言葉を盾に振りかざして

なんでもかんでも禁止して(同調主義による圧力も含む)、

文化や自由を駆逐してしまうのは、

日本の社会に、

「危機管理」が行き過ぎていることと、

「責任」の概念がきちんと浸透していないことの証なんじゃないかと思ってしまいますクワッ



たとえば、公園の遊具で遊んでいたら子供の怪我が多発したので遊具を取り壊すということは結構ナチュラルに受け入れられていたと思います。


しかし、

確かに子供にとって危ないかもしれませんが、

同時に楽しいことでもあり、

かつ子供たちが危険を見極められるようになる過程の一部でもあると思うんです。


それに対して世間は過剰に反応しすぎだと思うんです。

多分、「責任」をリスク負担と同視しているからじゃないかと思うのですが…。


「事故が起きた場所の管理者」に対して過剰な責任(=リスク負担)追及し、

管理者は責任(=リスク負担)として過剰な危機管理をする。


どっちもどっちで、「責任」逃れにしか見えないんですが…。


例えにならうと、

親は子の監督責任を自分でも子供でもない他人に押し付け、

公園の管理者は責任追及を避けてそもそもの自由(≒責任)な遊び場を放棄する、

というところでしょうか。。


こういう場合って本来であれば、

親は気をつけて遊ぶということを子供に言い聞かせて自由(≒責任)の意味を教え、

公園の管理者は基本的な危機管理をすればいい、

のではないかと思うのですが。



あ、もうぐっちゃぐちゃ…



極端な話、

日本人はこうして自分たちを保護することによって自己責任の範囲を見極める過程をなくしてしまい、

危機に備えられず弱体化するのと並行して責任追及に対抗する術や気概を失い、

保護されまくった日本の中でしか生きていくことができなくなってしまうのでは!?


海外では日本人は被捕食者にされがちですし…。

(あくまで個人の話で法人関係は知りませんが、少なくとも政府は最近確実に頼りないですよね)



と、まあ、保護されまくったゆとり世代にありがちな被害妄想論かもしれませんが、

どうしてもこの考えを昔から捨てきれないんですよね~。

どなたかこの論を分かりやすく論理的に補完して欲しいです目



ところで、ズービン・メータが湾岸戦争の時に行った“現地”ってどこなんでしょう?クウェート?

あとなんでイスラエル・フィルだったんでしょうね、何かツテがあったってことなんでしょうか、と思ったら音楽監督でした。



BGMおんぷ

関ジャニ∞:アルバム「PUZZLE」

卒業式が相次いで中止になっていますね。

沈鬱な時だからこそ門出を祝い喜ぶべきだとも思うのですが、どうしようもないのでしょうか。

個人の精神的な気鬱や経済的な打撃も積もれば大きなものだと思いますしねえ。


そんな中、Twitterで話題になっていた祝辞。


本文にも書いてある通り、“象徴的”なもの言いなので、素面でパッと読むと好き好きはあると思いますが、

卒業式のような晴れの場ではこういう情緒的で熱い言葉は強く胸を打つと思います。


私はやっとまともに社会と向き合い貢献していこうとしているところです。

この祝辞をありがたく承りたいとおもいます。



以下引用(全文コピペですが)

http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/


卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。


 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32


 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。


立教新座中学・高等学校


校長 渡辺憲司

ほとんど書きあげた記事が消滅しました。

時々そういうことが起こります。

~~~~!!!


大災害関係についてはもう少し落ちついてから書き残そうと思います。


さて、輪番停電やそれに備えての節電による交通の乱れを恐れてか、

あまり人が出回っていませんね。

芸術関係者さんからすると仕方がないとはいえ痛手です。

せっかく舞台をやってもお客がいないんじゃやるせなくなっても仕方ないですし。

というわけで、消費活性化応援ではないですが、私はお出かけしてきました。


渋谷Bunkamuraシアターコクーンにて演劇鑑賞してきました。


こまつ座

「日本人のへそ」

井上ひさし/作 栗山民也/演出 小曽根真/音楽 謝珠栄/振付

お客さんの入りはおそらく5割といったところでしょうか。

目測は苦手なので実際よく分かりませんが。

とにかくスッカスカでした。

それとも案外こんなものなんでしょうか。


――以下ネタばれ含みます


舞台を見慣れていないからか、あっけに取られて話についていくのが精一杯で、

タイトルのへその意味は結局よく分からず。

どんでん返しどんでん返し、

吃音矯正教室から退廃的な昭和劇が始まったかと思うと、

二幕では一転、推理劇、かと思えば最終的に吃音矯正教室に戻った、という。

この大きな流れの中にも小さなどんでんがあったりして。


井上ひさしってこんな感じなんですか?目


ストーリー的にちょっと残念だったことが。

恐らく、原作が書かれた当時(1969年)には、この時代の背景をよく知る人たちにとっては

強烈なファルスが、私には響いてこなかったと思われることです。

私が勉強不足というのがとても大きいとも思うのですが。

吃音矯正教室って何さという感じですし、

同性愛者に関しても、個人的には特別異質なものと捉えていないので…。


現代日本にはない(もしくは希薄化した)アクが強く泥臭い人間味というものを、

現代の若者が演じるのってとっても難しいことだと思うんです。

だって身を持って、肌で知っているわけじゃないから。

だから、一人ひとりが泥臭い演技をするというよりはもっと現代アレンジを強くしたものだったから

楽しめるものになったのでは、とちょっと思います。

それでも、当時の観客が見た印象よりは薄くなってしまっているのかな、と

思わずにはいられません。

(でも、自分でも書いててよく分からなくなってきました・・・・・。


音楽と演出はすっごくよかったですハート

特に音楽は、昭和の退廃文化や大衆文化のにおいがムンムンして、日本人的情緒をくすぐられましたーニカッ

昭和って、時代時代の違いはあれど、一時代の中ではあまり多様化していなくて、

今より分かりやすくまとまったイメージをしやすいと思うんですが、そのそれぞれが

結構好きなんです。

日本人のへそは多分60年代前後だと思うんですが、魅力的な時代ですよね。

よく知りませんが!(だからこそ魅力的と思えるのかも)


女性の役者さんが野太い声で演じられていたのもよかったです。

最近アニメを見ていて、キャラキャラしてか細い声ばっかりで、

嫌いではないですが若干食傷気味だったので。あは。

別にアニメじゃなくとも若い女優さんはあまり野太い声を出しませんよね。(出せない?)


ところで、

「あら、イイ声のイイ男がいるわあ」

と思ったんですが、

石丸幹二さん。

二枚目系なルックスで道化的でゲスな役もがっつり演じていらしてツボでしたうふふ・・・

お年を調べたら、45才ということで。

最近イイと思う男性は大体40代なんですが…

うーん、ブレないな、自分。




BGMおんぷ

東京事変/幸福論、母国情緒、キラーチューン、ダイナマイト、労働者、他

随分あいてしまいましたが続きを。


□ベロニカは死ぬことにした

□マンマミーア!

□少年メリケンサック

□ラヂオの時間

□シャーロック・ホームズの冒険


□番外編:toilet





■ベロニカは死ぬことにした

これを借りたのはいたって不純な動機です。


真木よう子のヌードが見たかったから。


これはマジです。

結果的に、ヌードには期待しすぎてはいかんかったです。

映画自体が予想外によかったので、途中から最初の目的はすっぱり忘れていました。



化粧のせいなんでしょうか。

真木よう子の顔の印象がかなり違いました。

20代の小娘ってかんじです。

そのまま爽やかに笑ってたりするとホント誰?って思ってしまって私の中の真木よう子像にかなりの疑問が出ました。

がつっと低くて骨っぽい声を出すところが好きなんですけど、普通に喋ってると全然その名残がないなあとか。

SPと龍馬伝(の一部)の彼女しか知らないのでそんなにしっかりしたイメージがあるわけじゃないんですけどね。




■マンマミーア!

母と娘がかわゆかったです。

メリル・ストリープのオーバーオール姿がなんとも…笑

でも、ミュージカルはやっぱり映画で見るよりも本物を見たほうが楽しめるだろうな、と。




■少年メリケンサック

宮崎あおいがすっごい可愛かった!

宮崎あおいはそこまで好きでもなんでもなかったんですが、これはよかった!

ドス効かせて叫んでる姿すら可愛いから反則だと思いましたね。

私はあんまり女の子(特に日本女子)が口汚く罵ってたりするシーンが好きじゃありません。

理由は多分、男性の怒号に比べて全然迫力がないからショボく感じるからだと思います。

ですが、彼女のはなんか愛嬌があって可愛かったです。

コメディでしたし。

意外と太くもあった。



昨今の流行なのか、邦画には共通する独特の笑いの間がありますよね。



■ラヂオの時間

言わずと知れた三谷幸喜の初監督作品ですね。

舞台で見たほうがおもしろかったかも、とは思いましたがやっぱり秀逸、だなと。


三谷幸喜の笑いは、クドカンの笑い(ぶっちゃけ民度が低い)と違い、品があって素直に笑えますし、素直にレコメンドできます。

笑いを生み出すって本当に難しいです。




■シャーロック・ホームズの冒険

アクション系シャーロック・ホームズ。

シャーロキアンの間では賛否両論あるようですが、私は好きでした!

なんといってもホームズとワトソンの関係描写がとっても良かったですキラキラ


ロバート・ダウニー・Jr.扮するホームズ素敵でございました。

私の中では映像化されたホームズといえばジェレミー・ブレッドなんですが、

今までの紳士的ヴィジュアルのシャーロックとはまったく違うのに、

ホームズのイメージアイテム(ヴァイオリン、バリツ、パイプ、コカイン等)もしっくり来る異色のホームズ。

ある意味比較しようのないくらい異色なのがよかったのかもしれません。

ロバートは年の割に老けてる気もしますが、上半身晒しての武闘もばっちり。(萌える肉体とは思いませんでしたけど、笑)

彼はアメリカ人だったんですね。

英語とか米語とかの違いはどうしたんだろう。

聞きとれない私には関係のない話ですが。


彼らは原作回帰だよ、と言っているのでぜひ原作を読んでみるべきかもしれません。

頑張ろう。



ですがですがですが、どうしてもアイリーン・アドラーが…!

飛んだり跳ねたり怯えたり。

レイチェル・マクアダムスは可愛いですけど、アイリーンを演じるには可愛すぎるのでは?

だって、元オペラ歌手ですよ!

ボヘミア国王の愛人だったんですよ!

そういうイメージじゃなかったんですよね。

もっと妖艶でシックでミステリアスな感じがほしかった。

あんなにアクションしないでほしかった。

そもそもメインで出さないでほしかった。

あんなんアイリーンじゃねえよっ、うわーん!!泣き


とまあ、結構ダメージは大きかったです。

やっぱり、龍馬伝のおりょうしかり、魅力的かつ固定イメージの強い魅力的な女性キャラを演じるのは大変ですよね。

メアリー役のケリー・ライリーのほうがよっぽどホームズを翻弄できそうでした。

まあでも彼女を消すと色がなくなるのも確かなので我慢するべきなでしょうか。

複雑な気持ちです。



イギリスといえばフリーメーソン!

なのかは知りませんが、そんな雰囲気の敵もちょっとおかしかったですね。


因みに、映画とは関係ありませんが、ウィリアム・ジレット扮するホームズもとっても素敵です。

パイプをくわえて胡坐をかいている写真を見ましたが、ジェレミーよりもこちらの方が…ふふ。

映像ではないのが残念極まりないですね。




■toilet

初めて荻上直子作品を見ました。

いえ、エンドロール見るまで気付かなかったんですけど。

いやに笑いの間がしっくり来るなとは思っていたんです。

こういう間の取り方はテイストは多種あれど、邦画の本流の一つじゃないかと思ってるんですが、(私の好みの問題でしょうか?)

まさか洋画に?と思ったら監督・脚本は日本人でした、という。


謎は謎のままに終わったり、

ここの笑いポイントはイマイチとか、

ちょっと小エピソードを盛り込みすぎでは?とか、

正直、中だるみして途中飽きたとか思っていたのですが、

ラストがよかったのか、読後感ならぬ鑑後感が爽やかでした。

ウォッシュレットの機能をちゃんと使ってみようかなとか、

餃子を作りたいなとか、

思っちゃったり。(思っただけで実行しませんでしたが)