かれこれ、3年ほど前になるでしょうか…

風子おばさんは、

hooponnoponoのイハレアカラ・ヒュー・レン博士の講演会に参加しました。

1日講演の参加費が確か7万円くらいだたっと思います。
いや~、この値段、すごいですねー!!もちろんだんなさんには内緒です
(最近のセラピーやその類のセミナー関係の料金設定にはけっこう驚かされます。 まあ、ここではそれは置いときまして。)


ヒュー・レン博士は、講演後、みなさんが一斉に質問の手を挙げのを見て少々うんざりした顔をされていました。

「ぼくの話の内容が分かったらなら、質問はないはずだよ」

と言いながら。

でも、変わらず質問の手は挙がり続け、博士はそう言いながらも丁寧に対応されていましたが。


さて、当時、この「質問はないはず」の意味が風子おばさんにはまったく分かりませんでした。

「質問を面倒くさがるのは逃げの姿勢?」などと心の中で思ったりして。

もともと風子おばさんは、頭でっかちの理由探し屋さんだったので。


それが、変わるものですねー

今ならこの「質問はないはず」の意味がしっくりときます。


今は、ヒュー・レン博士の「聞いてたの?」の気分が分かっちゃのです。


hooponnopono では、すべては自分の責任である。この認識から始まります。
自分にすべての責任があるからこそ、自分の意識でもって、すべてを変えられる!
この発想です。要は、この3次元ドラマの脚本家である自分に戻って考えなさいということです。

風子おばさんも、自分の意識のオーナーになるという意味が分かってからなるほどーと、日に日にこの意味がはっきりとしてきています。

「質問というのは、主体が他にあると感じる心が産み出す発想だということです。

「そうは言いますけど…」
「これについてはどうなんですか?」
「ここのところは違うことも言えると思うのですが…」

私たちは、いつも人の言動に自分の正解探しをしているのです。

だから、人を見たとき、ココは○だけど、ここは×。
○、×が不明なときは、質問してみてすっきりどっちかにしようとしているのです。


これが、自分が主体になれば、正解探しはなくなります。

人の話を聞いたときの感想はすべて「そうなのね」ということです。

自分と符合するところが多かったり、逆だったりしても、そういう考えがあると認識するだけです。

その次の段階で、その他から得られた認識が、自分にとってどうなのか?
という作業は心の中で行われるでしょう。養分にしたり、刺激にしたり、今はこれは要らないとポイしたり…。
ここで、自分に対する質問は生まれるかもしれませんね。自分に質問をして、しっくりくるポイントを探してゆくでしょう。

たとえば、何か共同でやるような場合で相手から提案があったときもやはり質問ではないのです。

相手の意志が分かったなら、自分としての提案や補足や意見なのです。

そして、すり合わせて、

自分としてはここをやります。
こうします。

つまり、行く方向や目的地は一緒でも、個々人なのです。

自分の意識のオーナーになることは、今、一番大事な気づきだと感じています。


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