父は前頭側頭型認知症という、全体の1%ほどの珍しい認知症だったという。

認知症の中では一番遺伝する可能性が高いとも聞く。

 

==========

コロナ後に帰省したら、父は私を忘れていた。母は、初期癌だった。

 

父は、病院の待合室で、痛みがひどかったのか、「殺してくれ」とわめいて、周囲にびっくりされたこともある。(※1)

大病院で数時間待った挙句、15分ほどの診察で、「あなたのお父さんの性格だと打つ手がないよ。」とお医者様に言われた。

どんどん情けなくなっていく父と、若い医者にそんなことを言われる状況に、腹が立って仕方がなかった。

 

実家では、両親が共依存状態だった。少なくとも私には、そう見えた。

家の掃除も洗濯も、リモコンの電池の交換も、片付けも、もう手が回っていない。

食事などの日常生活を普通に回そうとする母。気に食わないことがあったり、母がとちると、わめく父。

かぶせる母の言い訳とも愚痴とも言えないやり取り。

会話が成立していると思えないのだが、会話はできていると思い込みたい母。

 

手が回らない行政系の手紙を未開封のまま、システムリリース前でピリピリしたWeb会議中の私の前にポンとおいて、

間違えると嫌だから見ておいてと言う母。

通常の思考回路が壊れてしまったかのような父を、もう父とは思えない私。

みかん箱を探して、どういうわけか私が寝ていた部屋に入りブランケットを引っ剥がし、

みかんがないとぼやき、あんた誰という顔で私を見る父。

そんな父が、もう怖くなってしまった私。

 

健康診断で、訳が分からず、わめいて暴れる父を、お医者さんと看護師さんと母と私で抑え込んだ。

採血で看護師さんが「怖い、怖いっ」と叫んで逃げるのが、私は怖かった。

 

私は一人っ子で、兄弟姉妹はいない。

母方の近しい親族のサポートもあったが、仲が良いわけではなかったり、遠距離だったり。

父方の親族は、皆他県で、年齢もそれなりで、彼らの生活もある。

何故認知症にしてしまったんだ?放っておいたんだ?と、責められている気がしてならなかった。

 

ケアマネージャーにも頼った。施設にも預けた。

老々介護で疲弊した初期癌の母の介護も、行政に頼った。

 

それでも、システムリリースを控えた私は、怒りをやり過ごして、タスクをこなしていくだけで精いっぱいで、

感謝もへったくれもない日々だったように思う。

 

==========

私も父みたいになってしまうのではないか。

母や私が通ったような苦しみを、近しい人に与えてしまうのではないか。

 

知らず知らずのうちに、すでに「私」は綻び始めてしまってはいないか。

自分で気づけるものなのか。

 

何か過ちが起きてしまう前に、始まってしまう前に、きれいに消えてしまいたい。

どんなに信頼している人でも、逆に信頼している人だからこそ、

自分が自分ではなくなってしまうような状態の私を、みられたくない、晒したくない。

認知症の兆候があると診断されたら、一人でスッと消えられる完全隔離環境か安楽死を考えずにはいられない。

 

==========

※1

患者自身が治療の概念がわからなくなると、治療を希望する意思表明がない、とのことで治療を受けさせてもらえなかった。

親知らずがまだあった父は、おそらく歯磨き不十分や歯周膿漏などで痛み出し、食べなくなった。

通えそうな距離のローカルの歯医者さんはすべて、門前払いを食うなどして、治療を受けられなかったと、パニックになった母が私に電話をかけてきたことがある。

粉瘤も、本人の意思が確認できなければ対応できないと、お医者様に言われた。

訪問介護で診てもらえる検査項目も、本人が嫌がるので、できる範囲に限られた。

そんなこんなで、父が何らかの病気を抱えていたのかどうかは、わからない。

いわゆる社会に役に立たなくなった父は治療に値しない、そんな風に扱われている気もして、悲しかった。