パウシュ先生が“Pittsburgher of the Year”に!
こんにちは。常盤です。
今日から冬休みという方も多いかもしれませんね。みなさまいかがお過ごしでしょうか?
年末っていつも慌しいものですが、私はこのシーズンが大好きです。年が明けるとお楽しみが終わってしまったような気分になりますが、年末には独特のワクワク感がありますよね。
さて、本日の話題はちょっとしたグッドニュース。
カーネギーメロン大学があるピッツバーグの地元誌『ピッツバーグ・マガジン 』が決める“Pittsburgher of the Year(ピッツバーグの今年の顔)”に、パウシュ先生が選ばれました!
この記事 を読むと、奥様のジェイや恩師のアンディ・ファン・ダム教授をはじめ様々な人たちとのエピソードとともに、パウシュ先生が歩んできた道のりを改めて振り返ることができます。
パウシュ先生がいかに幼いころからビジョンを持っていたか、教師としていかに優れていたかもわかりますよ。
そのなかで、『最後の授業 』には書かれていない、印象深いパウシュ先生のエピソードをひとつご紹介しますね。
それは、パウシュ先生が余命宣告を受けた後の、2006年秋のこと。
パウシュ夫妻は、ピッツバーグの名門Shady Side Junior Schoolに長男のディラン(当時3歳)を通わせるにあたり、同校のシェリル・リトル校長と面接をしました。
通常であれば、校長先生と親御さんとの面接は20分ほど。「お子さんはどんな子ですか?」など、校長先生から両親に、ざっくばらんに質問する程度なのだそうです。
ところが、パウシュ先生の場合はまったく違いました。
2時間ほどに及んだその面接を「あんなに大変な思いをしたことはなかった」と振り返りながら、リトル校長は次のように述懐しています。
面接が始まると、パウシュ先生はリトル校長に対して、同校の支出を細かく示した円グラフと、進学に必要な独習の成績がわかる最新データを見せてほしい、と言ったそうです。
「そんなことを尋ねてくる親御さんは初めてですよ。しかも、お子さんはまだ3歳だというのに」とは校長先生の談。
面接の最中に、パウシュ先生は校長先生にこう言いました。
バカげた質問だってことは自分でもわかっているんです。
でも、僕は死にかけている。
僕には、まだ学校に上がっていない3人の子供がいます。
あの子たちの面倒をいちばんよく見てくれる学校がどこなのか、
僕はこの目でしっかりと確かめておかなくてはならないんです。
その言葉を聞いて、自身も親であり、また癌を克服した身でもあるリトル校長は、パウシュ先生を同校のMiddle School(6~8歳)、Senior School(9~12歳)の校長たちに引き合わせました。ディランがMiddle School、Senior Schoolに進学するのはまだ数年先のことだったけれど――。
当時を回想しながら、リトル校長はインタビューにこう答えています。
「ランディは、私がいままで出会った誰よりも熱心なお父さんでした」。
パウシュ先生が子どもたちのことをどれほど愛していたか、このエピソードからもよくわかりますね。
この『ピッツバーグ・マガジン』の記事、全文はかなり長いですが、もしお時間に余裕があればぜひお読みください。
