献辞の美しさについて
こんにちは。常盤です。
今日は、ちょっとマニアックですが「献辞」についてお話ししようと思います。
みなさんは献辞(けんじ)ってご存知ですか? ときどき、本を開くと最初のほうのページに「愛するエリザベスに」とか「亡き父に本書を捧ぐ」なんていう一言が添えられていますよね。あれが献辞です。
日本人著者による書き下ろしではあまり頻繁にはお目にかかりませんが(あとがきの最後に添えられていたりしますね)、翻訳モノではよく献辞のついた本を見かけます。
『最後の授業 』は、3ページめに献辞を載せています。
私は、この献辞っていうのが好きなんです。基本的には読者のほうを向いて話をしている著者が、ふと独り言を漏らしているページ。その本を書いているときに誰のことをいちばんよく考えていたかがわかるページ。それが献辞だと思うからです。
そんなわけで、私は編集する原稿に献辞がついていると、「どこにどんなふうに置こうかな」とあれこれ考えます。
本の場合、奇数ページと偶数ページどちらのほうが偉いかといったら、一般的には奇数ページのほうが格が上になります。章が改まるとき、偶数ページを飛ばして奇数ページから始めたりするのもこのためです(紙幅の都合により例外は多々ありますが)。
今回、パウシュ先生の献辞を3ページめに置いたのは、これだけのために奇数ページを1枚分割いても全然惜しくないくらい、すばらしいメッセージだと思ったからです。
夢を見させてくれた両親に感謝をこめて
そして、僕の子供たちが見る夢に期待をこめて
どうでしょう、パウシュ先生がこの本を真っ先に届けたかった相手が誰なのか、その人に何を伝えたかったのかがよく伝わってきますよね。これほど心を打たれる献辞はそうそうお目にかかれません(主観たっぷり)。
みなさんも、今度なにかの本をお読みになるときに献辞を探してみてください。サラッと読み飛ばしてしまいがちな地味なパーツですが、献辞ってじっくり読むととても味わい深いものが多いですよ。
