当時、私のコンビニは順調に売上をあげていた、深夜スタッフも充実しており、私のシフト時間は17時~24時となっており時間は比較的自由がきいた。

いつもの様に発注が終わり、息抜きがてらで1時間だけ遊びに行こうと思いながら店を後にする。

お店に着き階段を上がり中に入ると、例のごとくやっチャン風坊主頭の店長が現れる。

ニコヤカに案内してくれるとニコルさんが直ぐに気がついた、「〇〇さん、有難うございます。今日は三〇さんはいないですよ。」

私は今日は一人で来たからと伝えると、「そうなんですか、指名は誰にしますか」と聞かれ、私は別に無いと言ったら、「あっジェ〇ーが、この前付きましたよね、ジェ〇ーを呼びますね」と、勝手に決められてしまった。

私はキツい顔の奴はどうも…と思ったが、まぁいいか1時間だしと思い、シートに身を沈めた。

ジェ〇ーはまたセクシーなドレスで席に付く、他のタレント達とは少々ドレスの感じが違う。

後で分かったのだが、店ではNo.1でドレスも他のタレント達が買う物よりグレードが高い物を着ていたとの事である。

ジェ〇ーの営業スタイルは、とにかく明るく場を白けさせない雰囲気作りに徹していた。

あだ名はダイナマイトジェ〇ー、まさに其の名の通りエネルギッシュに接客する。

同僚のタレント達がお客さんとステージで歌うと、すかさず合いの手を入れたり、お客さんを野次で弄る。

ジェ〇ーの野次でお客さんは顔が綻び、上機嫌になる。

艶めかしい顔をしたと思ったら、ガハハッと笑ったり、変幻自在に変化する。

私は、こいつはプロフェッショナルだなと感じた。

ジェ〇ーは私が余り騒がない客だと分かったらしく、静かに対応する、取り留めの無い会話をして1時間はあっという間に過ぎた。

それで帰る気持ちで来ていたので会計を済まし、店の入口に向かう。

ニコルさんとジェ〇ーが見送りに出てくる、私は右手を挙げながら「また来ます」と言って外に出た。

車で来ているので酒を飲む訳でも無い、歌を歌う訳でも無い、ただ話すだけだったが、先妻を亡くし何となく侘しかった気持ちに、暖かい物が流れ込む様な感じであった。

先妻を亡くした後、数年経った頃から周りから、まだ若いんだしと後添いを勧めてくれる様になった。

日本人とは何人か紹介で会った事もあったが、皆さん何かイマイチであった。

どうしても先妻と比べてしまい、帯に短し襷に長しでは無いが、ダメなのである。

千葉県に在住のお方とは或る人との紹介でお会いした、先方はバツイチで子供さんが一人いらした。

実家は資産家で成田の屋敷は700坪もあり、屋敷内には住宅が三棟も建っていた。

近隣にも田畑を所有しており、ご本人は商売をされていた。

このお方が、どういう訳か私をえらい気に入ってくれ、是非とも一緒になりたいと言ってくれた。

貴方が今の住まいから引っ越すのが嫌ならば、私が其方に引っ越し商売も其方ですると。

貴方がよければ千葉県に全員引っ越して頂ければよい、住まいは用意するし仕事は知人に頼めば成田空港での仕事もあるし…と言われた。

客観的に観ても条件は最高である(笑)
人生楽しようと思えば、そのまま一緒になれば良し。

当時、先妻の子達は二人共に高校生、子達の編入も任せて頂ければ、しっかりやるとも言われた。

渡りに舟とは、この様な事を言うのだろうか、お相手は私より一歳上であった、若い時には芸能人相手に商いをバリバリやった事もある人だった。

私の朴訥とした処が気に入ったとの事、私自身は大いに迷ったが、やはり最後の踏ん切りがつかない。

結局はお断りしたのだったが、その後も数年間は便りが来た。

気持ち的に常に侘しいものが心の中にあった、其れが日本人と会っている時は満たされないのだった。

しかし不思議な事に、たどたどしい日本語しか話さず意思の疎通も満足でないのに、フィリピン人といたら何故か暖かいものを感じた。

帰りの車の中で、何となく愉しい気持ちになった。

この気持ちが私を嵌める事になっていく。