穂高先生と神保先生。

強い信念を持つ保守派の神保先生を説き伏せるのが至難の業ということは言うまでもない。

でも。

本当に大変なのは、穂高先生だ。

意見する方が悪者に見える構図にもなりやすい。

 

偏見に気づいていない改革派。

 

悪気なく困ったことをする善人ほど、面倒なことはない…と心のなかで毒づくしかない経験を日々している人、結構いるのではないですかね(苦笑)

 

最近は、無意識の偏見を「アンコンシャス・バイアス」と名付けて顕在化を促す動きがあるけれど、なかなか浸透が進んでいない。

なんせ「無意識」の思考なので、余程意識的に自分の思考と向き合わないと顕在化するのは困難だ。

また、排除すべき偏見なのか、伝統・文化なのか、その判断も人それぞれの価値観による部分が大きい。

そして、その個人の価値観にアンコンシャス・バイアスは大いに働くというわけだ。

なんとも悩ましい。

 

偏見と個性は、ある意味、同意語でもあると私は考えている。

良くも悪くも、私たちは偏っている。それが人間だ。

だから他者の存在がありがたかったり、面白かったり、鬱陶しかったりする。

 

大事なのは、偏っているのだということを忘れないことだ。

自分も相手も、みんな偏っている。

だから、自分は「絶対」ではないし、相手も「絶対」ではない。

それが面倒だけど、他者とともに生きる醍醐味だ。

 

そう思って想像しつづけ、創造していくことが大切なのだと思います。

 

さて、明日は寅ちゃんの反撃がようやく見られそうですね!

楽しみです!!!