イギリス留学時代、一年目はブライトンという南の街で過ごし、大学の始まる二年目からロンドンに移った。
ロンドンで住む場所を探して、ようやく引っ越しが終わった翌日、それが大学のオリエンテーションが始まる前日、死にそうな痛みに襲われて救急車で病院に搬送された。
結果はただの?腎盂炎だったけど、色々あって一週間ほど入院したので、初めて大学に行ったときには既にみんな友だちグループが出来ていて、どこにも入れなかった。
人生初の一人暮らしで、人生初の友だち不在、孤独すぎる日々だった。
当時は日本への国際電話もKDDIだかで1分200円とか、ネット状況なんかも電話回線で遅い。
とにかく暇で、暇すぎて、本を読むようになった。
日本語が恋しくて、朝日新聞を購読して、毎日2時間くらいかけてくまなく読んだ。
毎日読んでいると、外から見た「ここが変だよ日本人」みたいな問題意識が芽生えて、「声」に投稿を始めた笑
ある時それが採用されて、掲載されることになった。その記事はもう手元にないけど、書いた内容は鮮明に覚えている。
タイトルは
「敷かれたレールの先に」
子どもたちの放課後の大切な遊び時間を親が介入して、コントロールして奪っている社会への問題提起だった。
子どもだってもっと自分のことは自分で考えて、決めて、好きにしていいじゃないか。
自分で決めたくて仕方ない、好きに遊びたくして仕方ない子どもたちから「考える」「決める」「あそぶ」自由を奪っておいて、自分たちの価値観で作り上げたレールに乗せておいて、それで‘大人’になったら突然「自分のことは自分でしなさい、考えなさい」って酷くない?って思っていたように記憶している。
そんな思いが二十歳そこそこの頃から私の中にあって、面白いことにそれが今も尚変わらずにある。
子どものときに、「考える」「決める」「やってみる」という経験を積めるのが正に「あそび」であって、「あそび」こそが最高の学びの機会であると、あれから二十年以上経ち、三人の子どもを育てながら確信している。
それと同時に自分自身も「遊び」が足りていなーと思う。
楽しい妄想が出来なくなっている気がする。
今朝は新しい企画を考えているのに何もアイディアが浮かばなくて、糸井重里さんが、‘いまの世の中にものすごく足りたいのは、「遊びを創る」子どもの姿勢なのではないかと思う’なんて書かれていたので、こんなぼやきを長々と書いてしまった。
遊ぼう。
話そう。
聴こう。
制約の多いGWですが、この3つをテーマに過ごそうと思います。
長々と書きながらそんな結論に至りました。
今日もお付き合いいただきありがとうございます。
皆さまも心動くGWをお過ごしください!
ラサタ
