空気中にどれくらい窒素があるのかって知ってるかな、それくらい、ろあの心に色々のしかかってきていてマヒになってしまっている。不感症って言うと簡単だけれど、なにか、沢山のものを失って、というスタンスを取ってはいるけれど、手放すのはいつも自分からで、何もかも手放していったら、酸素さえ少くなって、呼吸困難だ。

 

久しぶりにロウソクを灯してその明かりでキーボードをカタカタしている。

酸素が少くなっていく。でもそれさえ、なんだか暖色の中に、カフェオレのミルクみたいに気持ちよく溶けていく。

ブルーライトとレッドライト。科学と原始。そんなガチ躁うつ病みたいな歪な行為が、案外心地よかったりする。

思い出したんだけれど、「孤独のグルメ」のドラマを見ていて、主演の松重豊さんがこんなことを言っていた。

 

「つくづく俺は、島国の農耕民族だ。」

 

これは、松重豊さん演じる主人公の井之頭五郎が、刺身を食べながら白米を食べて、言ったセリフなんだけれど、私はこれにすごく感動してしまって、すぐさまメモ帳に書き留めた。

こうして書くにあたって、メモ帳を見ずともすらっと出てきた魚のようななめらかさにまた、感心する。

 

最近は首が痛くて、二日くらいずっと寝違え続けたみたいな痛みがあって、かなり厳しい、そうして自分に厳しいから、それを責めて他の痛みも出てきて、それこそアメーバみたいに勝手にどんどん増殖していく。

誰にも知られずに、いや、わざと知らせずに。

アメーバの開設はちょっと躊躇していた。自意識過剰だからなんだろうけど、「騾黒愛ってこういうやつ」って、インスタントに、3分で、まとめサイトやWikiみたく理解されたくなかった。

 

事件のWikiとか見るんだけれど、被疑者の心理とか、生い立ちとか、かなりかいつまんで、と言うと耳障りがいいけれど、ひどく表面的な気がする。「大卒」とかひとくちに言っても、どんな学校なの、何を専攻していたの、人間関係は「良好」とかじゃなくて、どういう風に関わってきたの、とか、人によってぜったいに違う。

誰かのものさしで測れるほど、人は簡単にできていないよな、と思う。

 

人って屈折とか、悩みとか、気持ちの惡い慾望とか、こころに隠して生きているんだろうな、って思うし。

たとえばお腹を壊して病院に行くとする、

お腹を壊したAさんは「治してほしいよ」と考えて病院に行く。

でもお医者さんのBさんは「たくさん不要な手術をして、国からお金をガッポガッポ稼ごう」とたくらむ。

皮肉だけれどその上で、編み物とかチェック柄の服みたいに、成り立っているわけだし。

 

小説とかエッセイとか、その背景とかはあんまり、言いたくない。

言いたくない、と言うと格好良く見えるかもしれないけれど、内実覚えていないことも多いし。

とあるバンドが公式のYouTubeで、この曲はこういうテーマ...というような動画をあげていて、少し幻滅?した。

分かるよ、事務所があって、そこで力が働いて、やってくれ~って言われてやっていることくらい。

でもこう、探求心、ジャングルの奥地を藪を掻き分けて進む、みたいなエンターテイメント性がほしい。エゴだけど。

 

だから、大オチまで言わない物語が好きだ、具体的に言うと落語の「死神」とか、想像力を搔き立てられるもの。

ロウソクを見ながら「死神」の話をするなんて、少し出来すぎかもしれないけれど。

 

某アーティストの歌詞を大々的に「考察」という体をとって勝手に決めつけているサイトがよく引っかかるんだけれど(二重の意味で)、絶対に見たくない。

アーティスト本人たちはコンセプトくらいは訊かれたら話すくらいで、「この曲はこうなんですよ~」とか、一切話さない。

それがすごく好きで。

文章だって絵画だって音楽だって、結局消費者がどう受け取るかで。

お酒だって煙草だって、好みなんて人それぞれだと思うし。

レビューサイトで☆☆☆☆☆5.0の飲食店だって、全部アレルギーの食べ物だったら何の価値もない。

アプリストアのレビューで散々分かっているはずでしょ、本当にダブルスタンダードだと思う。

評価に頼らない、と思っているのに結局評価に、どこから来た風かも分からない方向へ流される。

 

どれだけ高級で何カラットの指輪を渡しても、金属アレルギーだったらただのスクラップでしょ。

 

こう、自発的に深呼吸をしても、結局どこかに窒素が入って来てしまう。

惡いのか善いのか分からないけれど、確実に蝕んでいくいかれる。さまざま、虫喰われて、無視食われて、散々だ。

 

こんなこと考え込むルーティンでは無かったんだけれども、近ごろ、夜7時に寝たりして、当然朝早く起きている。

するとなんだろうな、まだ寝ていたいのに、起きなければと思ってしまって、午前中は死んだ目をしながらコーヒーを飲んでいる。

 

太陽光に何かが含まれているとかいうアレな発想はしないけれど、明るすぎるのは却って翳を際立たせてしまうと思う。

これに関しては翳がある方が惡いから、なんとも言えないけれど。

さっきから善だの惡だの、どこかの思想の善惡二元論か、という感じ。

 

この前。好きだった某グループの炎上まとめ、みたいな記事を読んだのだけれど、いろいろ、不快になってしまった。

踏み入れたのは自分で、筆者の方に非はないのは明白なんだけれど、

そんなとき、fhānaさんの楽曲の歌詞を思い出した。

つまらないことばっかりディグしてもつまんない

あ、その通りだな、と。

不祥事とか、他人の不幸とか、そんなもの見ていたって何にもならない。

つまんないの輪廻から抜け出せなくなっている私が、たしかにそこに居た。

 

はやりやまいとか、夕方のニュースとか見ていてもつまらない。

だから私はテレビを見るのを辞めた、去年の8月くらい。

 

炎上とか、正直どうでも良いと思う。

だって多様性だ多様性だ謳っている割に、人は皆ちがって、主義主張があって、それに反する言動にムカつくのなんて、魔女狩りや異端審問の時代からなにも進歩していない。

 

書き込みに脅迫で逮捕とか、見せしめ逮捕だと思うし、批判はまだしも、批評さえ押さえつけてしまえば、言論弾圧の他になにものでもない。

きらいなやつ、気にくわないやつ、処刑。

そんなことしてなにになるの。

 

被害者ヅラ、とか汚い言葉があるけれど、被害者と思ったならそうだし、平気なツラを保てる人もいるし。

平気なツラをして苦しんでいる人だって、刑務所がいっぱいになる位にいると思うし。

 

空気中の窒素だって、何か惡いことをしているわけじゃない、と私は思うし。

危険因子だって言われたって、現に窒素を吸って生きているわけだし。

どれだけ主張したって、結局はその声は空気を吸いこまなければ言えない訳だし。

 

だからもういっそ諦めて、窒素に蝕まれながらも呼吸困難になっても、息をしていきたいと思う。

なーんてカッコイイこと言って。朝起きたらコンクリートの上で血だらけだったらウケるね、

 

てな感じで、テキトーにやっていこうかな、と。

 

読んでくれてありがとう。