東日本大震災から5年。


昨年、初めて震災について触れた記事はこちら↓
 震災から4年経って、初めて話す大切な思い。


私なんかが震災のことを語る事はおこがましいと思っていましたが、
転勤族が多い仙台で先日開催された「転妻カフェ」というイベント

 「転妻」生活の悩み共有 仙台で交流会 | 河北新報オンラインニュース

に参加して、少し考えが変わりました。


それは、友達にも震災の後に引っ越して来た転勤族の方が結構多いなぁ、ということ。

あの日あったこと、感じたこと、聴きたいという人には私も伝えたいなと思うようになりました。



しかし、今年は、まだ感謝の気持ちを伝えてなかった「あの人」に向けて書きたいと思います。



私は今4歳の息子を、妊娠して5ヶ月の時に自宅で震災を経験しました。


私の住んでいる街は宮城県の岩沼市。

仙台の南、電車で25分ほどのところにあります。


私が住んでいる地域には津波は来なかったですが、他の多くの方々と同じく、生活は激変し、生きるために必死でした。


あまりに日常とかけ離れた生活に…

この体験を記録しなければ、という衝動に駆られました。


翌日から3日間、いろんな出来事や感情を書き留めたロルバーンのノート。

久しぶりに開けてみると、当時の生々しい空気がまた蘇ってきます。

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3月12日だけで7ページ分、箇条書きでぎっしり書いています。


食料の配給の事とか。

スーパーに並んだ列が1時間半で50m進んだ事。

配られた飴1個とカイロ1個。


必要なもののリスト。


胎動が3、4日前から始まった、とか。

誰々さんに電話がつながった、とか。


ラジオから流れてきたこの歌に励まされ、泣いた事とか。
 SMAP この瞬間、きっと夢じゃない

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11日前に、前職を辞めていたのは幸いでした。

でも大きくなってきたお腹を抱えて、物資や情報を集めて並ぶのはしんどかった。


給水に2時間待ち、

食べ物に4時間

ガソリンに4時間…。


遠くの新聞配達所まで号外をもらいに行ったりも。


あまりに現実感がなくて、でも圧倒的にリアルで、

「私はRPGの中を生きているのかな」

そんな錯覚に陥ったりして、なんだか可笑しいや、と1人笑ったり。


辛かったなぁ。

よくあの時頑張ったなぁと思います。



困ったこと、ほんとにたくさんあるのですが、直後に困ったことの一つに

「手持ちの現金がない」


ということがありました。


電気が通っていないので、買い物にクレジットカードは使えない。

ATMからも引き出せない。

地震があったのが金曜午後だったから、週明けまで銀行の窓口もやっていない。


いろんな物が急に必要になったのに、現金じゃないと何も買えない状況になりました。


運の悪い事に、私の手元には2000円の現金しかありませんでした。


「どうしよう…」

ほんとに不安になりました。


家中ひっくり返して現金を探しました。


すると、出てきたある封筒


それは、しばらく前に帰省した際、母が持たせてくれた手紙でした。


書いてあったのは、

「夫婦二人で、力を合わせて頑張ってね。」

というメッセージ。


そして、「お土産代の足しに」と入れてくれていた2000円が…。


それは、これ以上ないほどのベストタイミングで、

母から時を越えて届いたメッセージでした。


声を出して泣きました。


「うん、ありがとう。頑張る。」

心の中で答えました。



「母の愛は、遅れて届く」


いや、

「遅れて受け取る」もの、なのかもしれませんね。



私も、いつか我が子に届くように、受け取ってもらえるように。

今、愛そう。



お母さん、ありがとう。


愛をこめて。



読んでくださったあなたも、あなたの大切な人と、良い一日を。


犠牲になられた方に想いを馳せて。

2016.3.11 14:46 黙祷