さっきの続きです。



例えば、中学校時代。

学期末に通知表をもらった日の帰り際、クラスの女の子から
「理恵ちゃん、『5』、何個あった!?」
って訊かれました。

で、私はもう鞄にしまっていたので何個かわからず、正直に答えた。


「わかんない…。全部で、何教科あるの?」 と。

そしたらその子が
「全部で9教科だよ
と教えてくれたので、

「じゃあ、8個だけど」
って答えた。(体育だけ3だったから)

その子は、たぶん自分の方が上だという自信があって私に訊いたのに当てが外れたらしく、
「へ、へぇ~~…
と言って、すごく引きつった顔で去って行った。


私にとっては、「勉強が全部できる」…というのは「当たり前」の事だった。
その上、音楽も技術科も家庭科も美術も、できた。
それすらも当たり前だった。(4以下を取るというのは、私にとっては「できない」を意味した)


全部で何教科なのかも、終わったテストの点数も興味なかったし、ほとんど5な訳だから、全部でいくつ取ったのかなんて多すぎて数える必要がなかった。


もっと言うと、中学の授業は、ほとんどつまらなかった。
なぜかと言うと、4月に教科書が配布になったら、1週間位で隅々まで読み終わって、飽きてしまうから。
その後の1年間は、ずーーーーーーーっと復習していなければいけない。

(子どもの頃の愛読書はイミダス。毎年買ってもらって、一冊丸々読む子だった。)




学校は、普通の公立。
田舎だったからレベルの高い私立中学もなく、うちはお金がなかったから特進コースとかあるようないわゆる普通の進学塾は行けなかった。
(行っていたら校外の話の合う友人が一人位できていたかもしれない。)


その時の授業では、知的好奇心なんてほとんど満たされなかった。

学校も、
「教科書読めばわかるのに、なぜ子どもは学校に行かなきゃいけないって決まっているの?」
「もっと違う勉強の仕方があるのに、どうして皆同じ内容の話を聴かなきゃいけないの?」
って思ってた。

だから、行く意味が心底見出せなくて。
(選択理論用語を使うと、私の上質世界に「勉強」はあっても、「学校」は入っていなかった)

まぁ、こういう理由で不登校になるケースは、多くはないと思う。(一つだけの理由ではないが)
なので誰かの参考になるのかどうかアレですが、なぜ不登校になったのかっていうのはよく訊かれる事なので、自己紹介兼ねて書いてみました。

実は、学校や会社組織になじめなくて不登校、フリーターやニートになるっていうのは、「高IQあるある」なんです。
あ、この話更に長くなるからまた今度ね。


で、話戻るけど、
ここまで読んでくれてる方からしたら…
「なんじゃそりゃ?」
ですかね

あえて書かなくても良い事をいっぱい書いた気もするな。

何を悩んでいたんだか、さっぱり意味不明かもしれない。


でもこれ本当根が深くて、「自分のできること」って、人に見せたら

「自慢だと思われる」
「嫌味だと思われる」
「ときに人を傷つける」
「嫌われる」

かもしれない、っていう意識が、私、深い所で入っちゃってる。
(中学校の時、さっきのクラスの子が離れていったように)

だから、結局のところ、自分が傷つきたくなくて、やっぱりあんまり見せないようにしてしまう。
これはもう年季が入ってる物で…なっかなか変えられない!

ここ数年マシになったと思ってたけど、いろんな人にいろいろ言ってもらって、まだまだだって、昨年思い知らされました。

そこを乗り越えないといけないらしい。


2015年、さらに成長したい!
そのために必要だなって、私も思う。


なんかすごく長文になってしまったけど~
そんな感じでもっと自分の枠を取っ払って、大きく動いていきます!

新年の抱負でした


読んでくれた方ありがとう