『成熟』と『未熟』
☆ ☆ ☆ 講師: 神戸女学院大学教授 内田 樹氏 & 大阪大学総長 鷲田 清一氏
☆ ☆ ☆ 日時: 2009年2月16日 19時~20時30分
☆ ☆ ☆ 場所: 朝日カルチャーセンター
以前、内田先生の対談集『 健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体 』を読んで、
とても興味深かったので、対談を聞きに行って参りました。
随分昔の記事・・・、書いたのを、とんと忘れていました・・・。
ちょっと新鮮な切り口のお話もあったので、今更ですが、UPいたします~。
昨年、食肉偽装、高級料亭の使い回し騒動といろいろありました。
そのたびに、報道陣に向かって、TOPの方が並んで頭を下げる光景がマスコミに流れます。
それを見る私たちは、どう思っているでしょうか?
多分、「頭を下げているだけでしょ?どうせ、また、同じ間違いを繰り返すくせに。」と感じているのでは?
こんなふうに、謝っている姿勢は見せても、誰が責任を取っているのか曖昧な社会になっている今の日本。
そんな日本を、『成熟』・『未成熟』というテーマからお話されました。
対談の内容から、2点、ご紹介したいと思います。
まず、『成熟』とは、何なのか?
鷲田総長は、「グジグジすることではないでしょうか。」と、仰るのです。
かつて、モノマネで「あ――~~、う――~~」と揶揄された元総理の大平さんを、例に挙げられました。
大平さんが総理在任当時、財政破綻でマスコミからものすごいバッシングがありました。
破綻の原因は、ひとつではないし、
また、大平さんに、全く責任が無かったわけではありませんが、
自分が総理になる以前の政策によるところが大きかったにも関わらず、
「自分のせいではありません。」とは、最後まで仰いませんでした。
その大平さんの心情を、「あの人のせい。あの決定のせい。」と言いたいのは、山々だけれど、
ここに至る経緯や事情、批判したときに波及する責任問題をいろいろ考えると、
とても、言えなかったのだろうと推察され、
総理として、全責任を黙って負う、そんな大平さんを「成熟」した人だと仰いました。
いろんな立場に自分を置いて、物事を考えることが出来る想像力が身に付いた時、
人として、成熟したと言えるのでしょう。
また、「成熟は、『未熟』を守るためにある、と考えています。」というのが、とても新鮮なお話でした。
未熟は、成熟していないということの意味に、普通、使われますが
「成熟していない・成熟出来ない」イコール「未成熟」であって、
「未熟」は、「成熟とは違う、別の次元の価値観」という意味に使っていらっしゃいました。
そして、世の中が大きく変化するほどのものを生み出せるのは、未熟な人々だというのです。
成熟した人々は、世間と上手く付き合っていける人々。
それに反して、未熟な人は、何かに熱中し過ぎたり、人とコミュニケーションが取れなかったり。
つまり、上手に世渡りできない分、社会で常に緊張した状況で生きることを余儀なくされるので、
生存に関わる感覚が研ぎ澄まされることになるらしいと仰います。
極端な例えですが、突然、ジャングルに放り込まれるような生きるか死ぬかの状況になったとして、
見たこともないものに囲まれたとき、
未熟な人は、判断よりも「何故か分からないけれど、必要になりそう。」という正しい直感が働くというのです。
社会の中で生き難しい「未熟」な人々を、社会という枠で生きる術を身につけた「成熟」した人々が支えていく。
そのために、「成熟」はあるのだと仰っていました。
今の世界は、価値観の表れとしてではなく、世渡りのテクニックとして、
気遣いや思いやりが求められている、厳しく虚しい社会。
日本の古い価値観と言われている「お互いさま」のいい面を残しつつ、
新しい社会に相応しい価値観を創り出していくことが、本当に豊かな社会へと繋がるように思いました。
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以前、内田先生の対談集『 健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体 』を読んで、
とても興味深かったので、対談を聞きに行って参りました。
随分昔の記事・・・、書いたのを、とんと忘れていました・・・。
ちょっと新鮮な切り口のお話もあったので、今更ですが、UPいたします~。
昨年、食肉偽装、高級料亭の使い回し騒動といろいろありました。
そのたびに、報道陣に向かって、TOPの方が並んで頭を下げる光景がマスコミに流れます。
それを見る私たちは、どう思っているでしょうか?
多分、「頭を下げているだけでしょ?どうせ、また、同じ間違いを繰り返すくせに。」と感じているのでは?
こんなふうに、謝っている姿勢は見せても、誰が責任を取っているのか曖昧な社会になっている今の日本。
そんな日本を、『成熟』・『未成熟』というテーマからお話されました。
対談の内容から、2点、ご紹介したいと思います。
まず、『成熟』とは、何なのか?
鷲田総長は、「グジグジすることではないでしょうか。」と、仰るのです。
かつて、モノマネで「あ――~~、う――~~」と揶揄された元総理の大平さんを、例に挙げられました。
大平さんが総理在任当時、財政破綻でマスコミからものすごいバッシングがありました。
破綻の原因は、ひとつではないし、
また、大平さんに、全く責任が無かったわけではありませんが、
自分が総理になる以前の政策によるところが大きかったにも関わらず、
「自分のせいではありません。」とは、最後まで仰いませんでした。
その大平さんの心情を、「あの人のせい。あの決定のせい。」と言いたいのは、山々だけれど、
ここに至る経緯や事情、批判したときに波及する責任問題をいろいろ考えると、
とても、言えなかったのだろうと推察され、
総理として、全責任を黙って負う、そんな大平さんを「成熟」した人だと仰いました。
いろんな立場に自分を置いて、物事を考えることが出来る想像力が身に付いた時、
人として、成熟したと言えるのでしょう。
また、「成熟は、『未熟』を守るためにある、と考えています。」というのが、とても新鮮なお話でした。
未熟は、成熟していないということの意味に、普通、使われますが
「成熟していない・成熟出来ない」イコール「未成熟」であって、
「未熟」は、「成熟とは違う、別の次元の価値観」という意味に使っていらっしゃいました。
そして、世の中が大きく変化するほどのものを生み出せるのは、未熟な人々だというのです。
成熟した人々は、世間と上手く付き合っていける人々。
それに反して、未熟な人は、何かに熱中し過ぎたり、人とコミュニケーションが取れなかったり。
つまり、上手に世渡りできない分、社会で常に緊張した状況で生きることを余儀なくされるので、
生存に関わる感覚が研ぎ澄まされることになるらしいと仰います。
極端な例えですが、突然、ジャングルに放り込まれるような生きるか死ぬかの状況になったとして、
見たこともないものに囲まれたとき、
未熟な人は、判断よりも「何故か分からないけれど、必要になりそう。」という正しい直感が働くというのです。
社会の中で生き難しい「未熟」な人々を、社会という枠で生きる術を身につけた「成熟」した人々が支えていく。
そのために、「成熟」はあるのだと仰っていました。
今の世界は、価値観の表れとしてではなく、世渡りのテクニックとして、
気遣いや思いやりが求められている、厳しく虚しい社会。
日本の古い価値観と言われている「お互いさま」のいい面を残しつつ、
新しい社会に相応しい価値観を創り出していくことが、本当に豊かな社会へと繋がるように思いました。
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