帰り道、不意に幸治は空を見上げた。薄暗い雲が空中に広がっている。
「なぁ…隆!東京でも今、こんな空なのかなぁ…。」
「はぁ?突然なによ!幸ちゃん頭おかしくなっちゃったー!?」
幸治より少し先を歩いていた隆哉は足を止めて振り返ると大きな笑い声をたてた。『何が面白いんだ…。』幸治は隆哉の顔を表情変えずに見つめた。異変に気が付いた隆哉は笑うのをやめて幸治から目線をそらした。
「東京は遠いからねぇ…。晴れてるんじゃないかなぁ。」
隆哉は自分で何を言ったのか分からなかった。ただ、この悪い空気を変えたくてしどろもどろに言った。
「そか。」
「どうしたの幸ちゃん…?」
「いや、瑠璃も遠い世界にいっちゃったんだなぁって思ってさ。」
幸治はまた空を見上げながら少し笑って言った。と、隆哉は幸治の顔をパチンとはたいた。
「いってぇ!何すんだよ、隆!」
「ばーか!幸ちゃん馬鹿だねぇ!俺もルッキも幸ちゃんも同じ空の下にいるんだよ!だって、空は一つしかないんだからさ!」
隆哉はいつになく真面目な顔をして幸治の顔を見つめた。幸治の目に隆哉がかっこよく映った、そして、隆哉の気持ちに気がついた。隆哉は隆哉なりに自分を励ましてくれているのだと…。
「そうだな!」
幸治は隆哉に笑顔を見せた。
「うん!ぁ 俺今、いい事言ったっしょ!」
またいつもの隆哉に戻った。幸治はいつもどおりに隆哉の発言を流して先に走っていった。
「幸ちゃん待ってくれよぉー。」
隆哉は幸治のあとを追いかけた。


幸治が家に帰宅すると毎日の事だが家中が静まりかえっていた。
幸治の家は父、母、幸治、妹の四人家族で、父親の義美も母親の幸代も病院勤めの医者で二人の結婚時に約束したらしく(これは幸治の聞いた話だが)ずっと共働きで、仕事をどちらもやめようとはしない。母親の幸代は専業主婦になるつもりなどさらさらもないのである。二人の帰宅はいつも真夜中で、二人ともが同時に当直が入る日も珍しくなく、そういう日は幸治と妹の莉音の二人で家にいることになる。
幸治の妹、莉音はいつもボーとして、何を考えているのか幸治でさえ読み取れない謎の中学2年生である。ただ、莉音はかなりの美少女らしく(幸治がそう思っているだけなのだが)学校でもかなりモテる。幸治にとっては誇らしい妹なのである。その妹は毎日、部活動であるソフトテニスをしてから帰ってくるのでどの部活動にも所属していない幸治より帰るのは遥かに遅い。
そんなわけで今日も幸治が家に帰ってみると不気味なくらい家の中は静かだったのである。幸治は家に上がると他の物には全く目を向けず慣れた足で2階の一番端っこの自分の部屋に入っていくと提げていた鞄を床に放り投げてベッドに身を投げた。そして、ポケットの中から携帯電話を取り出すと瑠璃にメールを打った。

宛先:瑠璃
件名:遅くなってゴメンm(_ _)m 今、帰った!さっきはゴメン!

単純なメールになってしまったが、今のごちゃごちゃした幸治の頭ではメールを打つので精一杯だったのである。幸治は送信のボタンを押すと携帯を片手に天井を見つめた。天井には宇宙の絵が書かれたポスターが貼ってある。


【助けて…幸治…助けて!】


「あれれ寝ちゃってるよー。」
莉音は幸治のベッドの横で見下ろしながら言った。『今の声、、、瑠璃・・・!?』幸治は夢を見ていた。瑠璃が助けを求めている夢を…。閉じていた瞼を開くとそこには莉音がいた。
「お兄ちゃん、そんな格好で寝てたら風邪ひいちゃうよー!」
莉音はクスクス笑いながら言った。幸治は一言、「あぁ」と洩らした。
「ってか何でいるの!?」
「なんでって…さっき帰ってきたじゃん!って寝てたんだよね。」
「寝てた!?」
幸治はふと机の上に置いてある時計を見た。時計は19時を指していた。
「って!7時…!」
幸治は布団から跳ね起きた。学校から帰ってきたのが17時だったので、ゆうに2時間は眠っていたのだ。
「お兄ちゃん、そんなことよりご飯は!?」
「飯?そんなん母さんに言ってくれよ!」
「やっぱ聞いてなかったんだー!お兄ちゃん朝、ボーとしてたもんね。今日はお母さん当直だから明日まで帰ってこないんだよ。ちゃんと聞いてないと!お母さんがご飯大丈夫って聞いた時頷いてたじゃんおにいちゃん。」
「あっ!そういや…。」
幸治は朝の事をすっかりと忘れてしまっていたのだ。瑠璃の事ばかり考えていたから。周りの音という音を寄せ付けてはいなかったのだ。
「そういやじゃないよ…しっかりしてよ…もう…。」
莉音はふくれて怒った。しかし、あまり怖くはないと幸治は笑いを返した。
「わりぃわりぃ!てかじゃあなんかあんじゃねぇの?冷凍とか。」
「晩御飯になりそうなものなんてないよ…。」
「しゃーねぇな、んじゃ怜さんとこいってなんか食うか!」
今まで怒っていた莉音は突然顔を変えて上機嫌になった。
「賛成♪じゃあ着替えてきまーす。何きよっかなぁー!」
莉音は飛び跳ねて部屋を飛び出していった。「近くに行くのにそんなにオシャレしなくていいだろ!」と笑いながら幸治は言ったが莉音の耳には届いていなかった。

家を出た幸治と莉音は二人仲良く横に並んで歩いていた。
「久しぶりの怜さんのお店。楽しみー♪」
相変わらずトーンの高い莉音の声が響く。
怜さんこと深山怜は幸治の母親、幸代の高校時代以来の親友で、幸治の家から5分ほど歩いたところにある居酒屋を経営している。何か春日家で起こったことがあったらいつも助けてくれる優しい人である。
「そうだな。でも、あんまりはしゃぐなよー!一応、居酒屋なんだし。」
「はーい!分かってるって分かってる!」
『本当にわかってんのか!?』と幸治は思ったが、その答えは言うまでもなく分かっていたので幸治は笑顔を返した。
その時、ふいに幸治はさっき送ったメールの事を思い出した。そして、あの夢の中で聞いた瑠璃の助けを求める声も。幸治はポケットから携帯電話を取り出してみたが、返信メールはまだ届いていなかった。いつも早く返してくる瑠璃だったので少し心配ではあった。でも、引越しをしたてという事でいろいろと忙しいんだろうと思って幸治はあえて気にしない事にした。そして、携帯電話をポケットに押し込んだ。
「お兄ちゃんどうしたのー??まっさか振られちゃったのー!?かわいそー。」
幸治の行動を見ていた莉音は勝手な想像をくみ上げて笑った。幸治は「そんなんじゃねぇよ。」と言って苦笑した。
「そうそう、莉音ね、優君と昨日一緒に帰ったんだよ。」
優君は莉音の彼氏である。サッカーが上手くて、勉強も出来るらしい(莉音が言っている事)。幸治は一度だけ会った事があったが、あんまりパッとしない子ではあった。
「そっか、うまくいってんだな。」
幸治は莉音を見て笑顔を見せた。
「うんっ!」
莉音はとびっきりの笑顔を返した。

ガラガラガラ。
「いらっしゃいませー。あら、幸治君に莉音ちゃんじゃない!いらっしゃい!どうしたの?」
店に入るなり高い声が幸治と莉音を迎えた。怜である。昔、どこかの劇団に入って声楽を叩き込まれただとか生まれつきこんなに声が高いのだとか適当な事を幸代から吹き込まれている幸治だったのだが、はっきり言えばどちらでも良かった。ただ、怜の声は顔と一致せず想像以上に高い。ある意味怖いくらいである。
「こんばんはっ怜さん♪」
莉音も怜の声に負けないぐらいの大きな(高くはないが)声で返した。
「あら、莉音ちゃん相変わらず元気ね。」
怜は口に手を当てて優しい微笑を浮べた。その笑顔は幸治の中で【大人の笑顔】というものの象徴のようだと思っていた。
「こら、莉音!大きな声出すなって!」
「あっごめんなさい。」
莉音は右手を頭に置いてエヘへと可愛げな声で笑った。
「で、今日はどうしたの?」
「あっちょっと親が当直なもので、晩飯をと思って。」
「そっかぁさっちゃん当直なのかぁ。分かったわ。じゃあ座って。」
怜は幸治と莉音をあいている席に案内した。二人が来たとき、店の中にお客さんはいなかったためか店の中ではTVの音だけが響いている。幸治がふとTVを見上げた時、丁度車の衝突事故のニュースをやっていた。幸治はちょっと気になってそのニュースに見入っていた。
「あれおにいちゃんニュースなんて滅多に見ないのに。」
莉音が横で笑いながら言った。
「そうなの?幸治君ニュース見ないんだ!」
怜もつられて笑った。
幸治は『うるせぇ』と言葉を洩らして、ニュースの続きを見た。なんとなくこのニュースだけは見ないといけないそんな気がしたのである。何故かよくわからないのだけれど。


本日、東京都○○で普通乗用車と大型トラックとの衝突事故があり普通乗用車が衝突の際に漏れ出たガソリンに火が引火し炎上、爆発し、一人が死亡、二人が重軽傷を負いました。この事故で犠牲になったのは…


「えっ…。」
事故によって被害を受けた人の顔写真が出た時、幸治の時が一瞬止まった。そこに映し出されていたのは紛れもなく瑠璃の顔だったのだ。


普通乗用車の後部座席に乗っていた、新居瑠璃さん17歳。また同じく乗用車に乗っていた新居辰夫さん40歳と妻、美貴さん38歳が足などに重軽傷を負いました。


ニュースを最後まで聞くことなく、幸治は店を飛び出していった。
「お兄ちゃん!」
「幸治君!」
怜と莉音が大きな声で幸治を呼んだが、もう遅かった。
 次の日、瑠璃は東京へと引っ越して行った。幸治は学校のため見送りに行く事が出来なかった。授業中ずっと幸治は窓の外を見つめてため息をしていた。
 黒板にはsinだのcosだのtanだの…。どこのどいつがこんなもん作ったんだとクラスの連中が文句をつけている数式が並んでいる。
 いつもは優等生ぶって真面目にノートを隅から隅までとっている幸治だったのだが、今日はやる気が全く起こらない。いつもの幸治が真面目ぶっているのは瑠璃に真面目な姿を見せてかっこつけたかったからなのだ。しかし、今はもう目の前に瑠璃はいない。幸治が今、優等生ぶる必要はないのだ。〈目の前に瑠璃はいない…〉幸治は完全に脱力してしまっていた。
「春日ァー!」
「はははは、はい!」
突然大きな声で呼ばれた幸治は驚いて咄嗟に立ち上がってしまった。クラス中は笑いの嵐に包まれた。
「あ、いっけね…。授業中…。」
幸治は声を洩らした。
「春日、そんなに俺の授業がつまらないか!?」
流行に流されてちょい悪をぶっているのかどうか分からないが、かっこつけている数学教師の菅原は幸治を睨みつけて少し笑みを浮べながら言った。生徒たちは先生の顔を見て更に声を上げて笑う。「な、何あの顔!きもーーー!」「ありえないっしょ!」など口々に言いたい放題言っている。
「い、いや…。」
「あーもういい!顔でも洗って出直して来い!」
菅原は決まったと思ったのか片手で拳を握り締めていた。
「は、はい…。」
幸治は静かに教室の外に出て行った。
「さて、続けるぞ!」
菅原は幸治が教室を出て行くと授業を続けた。

廊下に出ると、そこには音の世界が広がっていた。
そして、各々の教室からは先生たちの授業をしている声が聞こえてくる。グランドピアノの音、金槌の音。様々な音が交じり合って一つの曲を奏でるが如く響いていた。
しかし、廊下に出た幸治の耳にはその一つ一つの音が全く入らなかった。考えているのは瑠璃の事…。『もう会えないわけじゃない!』そう分かっているけれど、体が…心が…うまく機能してくれていない。
男子トイレに入った幸治は蛇口を捻って水を出した。
ザァー…。
水の流れる音がもどかしい。
幸治はその音をとぎるように手を出してその水を手の中に集めた。そして、その水を顔にかけた。『冷たい…。』季節は冬12月。山々の木の葉っぱは枯れ落ちている季節だった。
ザァー…。
まだ水はもどかしい音を出して流れている。幸治がその音を遮ろうと蛇口を捻った時、ポケットの中から音楽が流れた。幸治の携帯の着信音。
「あ、いっけねー!」
幸治は慌てて取り出すとその音を停止させた。携帯を開いて確かめると、そこには【瑠璃】の文字が。
「瑠…璃…!?」
幸治は慌ててメール画面を開いた。

件名:幸へ
 東京着いたよ!ってまだ授業中だよねぇ。ゴメンねッ!暇なとき返事ちょうだいね。

堅くなっていた幸治の表情に少し元気が出てきた。『別に瑠璃が消えてしまったわけじゃないんだ!』幸治はそう自分に言い聞かせると自分の顔を鏡で見た。
「よしっ!」
自分の顔を両手で叩いて、気合を入れなおし、幸治は教室に戻った。

幸治が教室のドアに触れたとき、チャイムの音が響いた。幸治は教室の扉を開けた。ちょうど、授業が終わって号令がかかっている時であった。
「春日。やっと戻ってきたな。早く自分の席に戻れ!」
怒鳴るように菅原は言った。
「はい!」
幸治はいつになく元気な声を出して言い返した。少し、菅原はびくついた。
「気をつけ、礼!」
相変わらず元気な学級委員長の松本の声が教室中に響いて授業終了を告げた。この日の日程はあとHRだけ。今日も一日終わりである。
授業が終わって休み時間になると同時に隆哉は幸治に近づいてきた。『また五月蝿いのが寄って来た…』幸治は心の中でそう思った。
「幸ーはーん。ありゃりゃ、さっきぃはどうしたにょー?ルッキのことぉじゃないだろうにゃー!?」
隆哉は大笑いをしながら理解不能な日本語を言いながら幸治の頭をポンッと叩いた。
「お前は動物か。文法メチャクチャだぞ。理解不能ー!」
幸治も笑いながら返した。
「そう?」
「おう。」
「まぁいっや。で、どうしたの!?ルッキの事ー?」
ワクワクとした表情で隆哉は幸治の顔を見つめる。
「何でもねぇよ。ちょっとボォーとしてただけだよ。てか、先生来たぞ席もどれよ。」
横河が教室に入ってくるといつものポーズを取った。それを見た隆哉は幸治に「アイアイサー」といって席に戻っていった。『お前は水夫か!』と突っ込みを入れようとしたが先に行ってしまったので言うのを止めた。

放課後。

幸治は自分の席に座って、瑠璃へのメールの返事を考えていた。すると、横から隆哉が割り込んで携帯の液晶を見た。
「何何!?これってルッキからのメール!?わぉ着くなりメールするって幸ちゃん愛されてるねー!」
幸治は咄嗟に携帯を隠した。しかし、もはや遅かった。
「んなんじゃねぇよ。」
隆哉は笑みを浮べながら更にワクワクと体を動かす。『ありえねぇ。おかしいだろ。』幸治は隆哉を見た。
「返事しないのー?」
「いや、ってえーー!?」
隆哉は咄嗟のうちに幸治の手から携帯を奪い取っていた。
「いつとったんだよ!」
幸治は隆哉の手から携帯を取り返そうとするが、隆哉の野性的な行動には追いつけない。
「えっ今だよ!いま!!!」
隆哉は携帯を開くとアドレス帳を探した。そして、その中から【瑠璃】という表示を見つけると通話ボタンを押した。
「幸ちゃん取れよ!ほい!」
隆哉は携帯を幸治の方に放り投げた。幸治は上手くキャッチした。そして、液晶を見た幸治は目を丸くして驚いた。
「えーお前何し…。」
電話の向こうで『もしもし』という声が聞こえたので幸治は声を留めた。

『もしもし』
「ぁ、よう。さっきのメール…。」
『あっあれね。暇だったから送ってみたー!』
「そっか。」
『あれ、もう授業終わってるんだっけ…。長旅でぼけっちゃってるよ…。』
「おう。今さっき終わったトコ。長旅って。日本国内だろ!」
『アハハハ。だね。まだ学校?』
「そうだよ。今から帰るとこ。」
『そっかー。電話してきてくれてありがとうね。嬉しい。』
「あいつがさ…

途中で電話を隆哉に取られた。幸治は必死に取り返そうとする。

「ルッキー!」
『あら、その声は…隆君ね。』
「そそ。ねぇねぇルッキ聞いてよー!今日ね、授業中に幸治が…」
『幸がどうしたの?』

「おい!やめろ!言うなって!」
幸治は更に必死に携帯を取り返そうとしている。

「あのねー幸がルッキのことばっかり考えてて菅原に怒られちゃったのー!」
『まぁ。幸もダメねー。』
「でしょうー

やっとの事で幸治は携帯を取り戻した。

「はぁ、やっと取れた。」
『幸、私の事ずっと考えてたの?』
「んなんじゃないって!」

照れを隠す様に幸治はしどろもどろに言葉を発した。瑠璃は電話の向こうでクスクスと声を立てて笑っている。

『ありがとう!幸。』
「だから…。」
『私たちずっと繋がってるよね!』
「当たり前の事言うなって…!」
『うん。じゃあ今から帰るみたいだからまた帰ったらメール頂戴。』
「分かった。じゃあな。」
『うん!じゃあねぇ。』

幸治は耳から電話を取ると携帯を閉じた。横で耳を立てながらワクワク調子で聞いていた隆哉は更に奇妙な笑みを浮べながら幸治を突付く。
「ラブラブーじゃーん。」
「だから…。」
幸治はあきれて、鞄をとって先に帰り始めた。
「幸ちゃーん!ほってくなって!いたっ!」
鞄を取って幸治のあとを追いかけようとした隆哉は足を机に強くぶつけた。

二人が学校を出たその瞬間、校門の木に残っていた最後の葉っぱが地面にヒラヒラと落ちた。まるで嵐の前触れのように…。

【こんなにも憂鬱な事があるとは今まで思いもしなかった。】




「幸ちゃん、いいの~!?お嫁さんどっか行っちゃうよ~!!」
馬鹿笑いをしながら隆哉は幸治の肩を叩いた。幸治は隆哉の手を払って、
「んなんじゃねぇよ!!」
と言い返して、苦い顔をした。
「あらら~幸ちゃん八つ当たり!?そんなんだから逃げちゃうんだよー。」
またさらに馬鹿笑いは高くなった。
《はぁ…うぜーまたかよ。》と思っている幸治だったが、その顔には全く笑顔はなかった。
夢野高校2年B組の放課後の教室。
そんな馬鹿騒ぎをしている隆哉であったが、他にも生徒がいてお喋りをしているせいか特に目立つ様子はなかった。隆哉はクラスのムードメーカー的な存在だった。この人なくして、このクラスは成立しないと言っても過言ではない。隆哉と幸治は小学時代からの付き合いでいつも幸治の周りに来ては馬鹿な話をする。今日だって休み時間に幸治のとこにきて、『今日、朝駅言ったときさめっちゃ可愛い子みたんだって!!』と騒いでいた。隆哉はいつも『そうかそうか』といって、会話を回避する。
「しっかしさぁールッキが転校とはねぇ…。淋しくなるわー。マドンナだったのにー。」
突然、隆哉の話題が暗くなった。
「うん…。さっきまで何も知らなかったしな…。」
珍しく幸治が隆哉の話題に乗った。
「えっ!幸ちゃん何も知らなかったん!?やっぱり、彼氏には言いずらいんだなー。ありゃ、その当の本人はどこいったんだ!?」
「さぁ?職員室じゃね?」


 事は授業終了後のHRにて起こった。

 いつものように先生が教室に入ってくると生徒たちは静かに席に着席する。幸治はその時、瑠璃に元気がないのを感じ取っていた。
「よし、じゃあホームルームはじめるぞ!」
いつ見ても元気過ぎて生徒たちすらまともについていけない体育担当の横河先生が教壇に上がった。そして、持っていた出席簿を置き片手を教卓についた。何度見ても教師とは思えぬ格好だ。しかし、このポーズは横河のHR開始の合図だった。
「そうだ。ホームルーム始める前にまずは皆に悲しいお知らせがある。」
そう言って、横河は瑠璃の方を見た。
「新居!前へ!」
「はい。」
瑠璃は席を立ち上がり前へ出て行った。瑠璃が前につくのを合図に横河は話を続けた。
「今日を持って、新居は家庭の事情で東京の学校に転校することになった。」
一瞬、クラス中で驚きの声があがったが、すぐに沈黙になった。隆哉は目を丸くして幸治の方に振り返ったがまったく気づかずに幸治は固まった。
「じゃあ新居、挨拶を。」
「はい。」
瑠璃は長い髪をたなびかせて喋り始めた。その姿は誰もが見惚れるほど優雅なものであった。
「突然にはなったけど私は今日で皆さんとお別れ…する…こ…。」
瑠璃は目に大粒の涙を溜めて、手で顔を覆った。貰い泣きする友達。唯、瑠璃を見つめるもの。その中で唯一瑠璃を見ることができずに幸治は俯いていた。《嘘だよ…。何かの冗談だよな。》そう自分に言い聞かせることしかできなかった。今、瑠璃の口から聞く瞬間まで一言も聞いていなかったのだ。

 瑠璃と幸治は小さい頃からの幼馴染だった。小さい頃から二人で一緒にいることが多く、同い年の割に瑠璃のほうが大人びていて、いつも幸治と姉弟と間違われたりした。そんな二人が付き合い始めたのはちょうど中学2年生の時だった。ある日のこと幸治の親友、隆哉が遊びのつもりで『幸治が話あるってよ。』と瑠璃をグランドに呼び出したのだ。二人きりになって静まった。そんな時、瑠璃が咄嗟に『幸…私たち付き合っちゃわない?』と投げかけたのだった。その後、ずっと二人は仲のいいカップルであり続けた。
 そんなわけで二人の間に隠し事なんてタブーだった。だから瑠璃の転校の話を聞いた時、幸治は何で伝えてくれなかったんだという気持ちでまともに瑠璃の話を聞けなかったのだ。

瑠璃は涙をハンカチで拭うと言葉を続けた。
「ごめんなさい…今まで本当に楽しかったです。ありがとう…。」
瑠璃は静かに席に戻った。


「あれー?まだ幸も隆君も残ってたんだー!!」
教室に戻ってきた瑠璃は笑っていた。唯、幸治だけは瑠璃が泣いているように見えていた。
「ルッキィー職員室かなー??」
また隆哉はいつもの調子で瑠璃に話し掛けた。
「アハハハハハハ 隆君ウケルー。」
瑠璃は笑った。
「幸、一緒に帰ろう。」
瑠璃は幸治の手を握った。幸治が少し戸惑っていると隆哉は肩をポンッと叩いて何もいわずに帰っていった。

帰り道、幸治と瑠璃は強く手を握り締めて歩いていた。いつも以上に力が入っている事に二人とも気づいていた。ただ、心の震えで調整することができない。ただ沈黙のまま時だけが過ぎていった。
「驚いた?」
瑠璃が静かに問い掛けた。
「ぇ…。」
「瑠璃が転校すること…。」
瑠璃は足を止めた。引っ張られるように幸治の足も止まった。
「う、うん…。」
「ごめんなさい…幸には早く言いたかったの…だけど…つらくて言い出せなかった…。」
「うん…。」
幸治は繋いでいる手を離すと瑠璃の目元の涙をぬぐった。
「泣くなよ!二度と会えないわけじゃないだからさ!」
幸治は笑顔を見せた。瑠璃も幸治の笑顔を見て落ち着いたのか徐々に笑顔を見せ始めた。ただ二人ともお互いが心の中で泣いていることを感じ取っていた。
「幸って私が泣いてるときだけやさしいんだから!」
「はぁ?俺はいつでも優しいし!」
二人は笑い始めた。
「幸と毎日会えなくなるのは嫌だな…。」
「うん。東京だっけ!?」
「うん。」
「いいなぁ。行った事ねぇよ。」
「じゃあ遊びにこればいいじゃん!!」

突然瑠璃は沈黙した。

「幸…ねぇ?小学生の時に約束したこと覚えてる??」
「え?なんだよいきなり…覚えてねぇなぁ。」
「…そっか。そうだよね。幸、小学生のときに言ってくれたよね。瑠璃と幸が二十歳になったら結婚しよって!」
瑠璃が言った一言に幸治は驚いた。
「る…り?」
「私忘れてないんだからね!アハハハ、そんな古い話してしょうがないっか!!もう私たちも高校生だしね。」
瑠璃は無理に笑った。
「結婚しよう!二十歳になったら!」
「えっ…!」
「二十歳になったら、俺、東京に会いに行く。瑠璃と結婚する。」
幸治は真剣な眼差しで見つめた。瑠璃はしばらく固まっていたが目からぽつぽつと涙を流し始めた。
「ありがとう…本当にありがとう!瑠璃、幸のお嫁さんになるよ…!!」
瑠璃は幸治に泣きついた。