その最たる物は、水戸黄門です。
その影響力は、凄いですね。
黄門様と言えば、徳川光圀と言うイメージを植え付けました。
黄門は、前中納言と言う、中国式の言い方です。
前関白を太閤と言う事と同じです。
徳川光圀は、ほとんど江戸にいました。
遠くは、父親の頼房と熱海に湯治に来た事と、日光東照宮に行ったくらいです。
光圀は、本当に名君と言えるのか?
歴史研究家でも意見は分かれます。
大日本史の編纂は、水戸徳川家の財政を苦しめました。
同じご三家でも、紀州、尾州は50万石を越える大国なのに、水戸は35万石。
それでも必要経費は同じようにしないと、面子が立ちません。
だから、水戸家は年貢が高い藩として有名です。
更に言えば、犬将軍、綱吉を将軍に強く推挙したのは光圀です。
最初から、甲府綱豊、後の6代将軍家宣を立てていれば、生類哀れみの令と言う、歴史上最悪の命令は出なかった。
この法律で、罪の無い武士が何人死亡しただろうか?
蚊を殺しただけで、打ち首です。
それを光圀は知っているのに無視していました。
ただ、水戸藩は生類哀れみの令を無視して、魚肉を食べている特別地域です。
綱吉を将軍に推挙する代わりに、水戸家は絶対に潰さない。
そういう交換条件があったのでしょう。
大日本史は、今の日本にも影響が有ります。
今の天皇は、北朝ですけど、正統な皇統は南朝だと言ってます。
だから、戦後の混乱した時に、自分が正統な天皇だと言って騒いだ人がいました。
テレビの徳川光圀と、実際の徳川光圀は、全くの別人です。