天下を取る人間は、非情でなければならない。
源頼朝は、弟二人を殺しています。
足利尊氏は、同じく弟の直義を毒殺しています。
徳川家康は、息子を二人、殺しています。
最愛の長男、信康を二俣城で切腹させた事を終生家康は後悔していました。
その信康が家康に子供と認知させたのが、次男坊の秀康です。
最初は、仕方なく育て上げました。
秀吉に人質として出したくらい愛情は無かった。
しかし、秀吉は秀康の本質を見抜き、可愛がりました。
事実、秀康は有能で、軍事、政治、どちらも優れていました。
秀吉は、秀頼が産まれた時、秀康には後見人になって貰いたいと言って、関東の名門、結城家を嗣がせました。
鎌倉時代から続く、名門の坂東武者。
それが結城家です。
建武の新政の時は、楠木、結城、伯耆、千種。
三木一草の忠臣と言われた名族です。
家康は、秀康を出した事を後悔しました。
弟の秀忠より遥かに有能です。
事実、二代将軍は、秀康が良いと言う家臣も多くいました。
家康は、秀康を殺す決意をしました。
梅毒に感染している美女を抱かせたのです。
この時代に、ヨーロッパから日本に多くの物が輸入されました。
ワイン
カステラ
金平糖
天ぷら
それと、梅毒です。
家康は、健康オタクです。
病気の知識も豊富でした。
実は、秀康に梅毒の美女を宛がう前に、加藤清正を同じ手口で殺しています。
秀康は、家康の前で鼻が落ちてしまったと言う逸話が有ります。
父親の家康と同じように、女好きだった秀康。
それをまさか悪用されるなんて思っていなかった。
実際、秀康が生きている時は、豊臣家に手出しはしなかった。
秀康が大坂城に入ったら、厄介だと思っていたからです。
秀忠は、秀康に対しては、常に下手に出て、将軍になっても、上座は秀康に譲るよう、家康にくどいほど言われていました。
自分の息子に病気持ちの女を抱かせて、天下の安定を考えた家康。
凡人には出来ない発想です。