今、日本ではラグビーのワールドカップが行われています。
ラグビーを日本で普及させたのは、知られていないけど、今は亡き、秩父宮雍仁親王殿下です。
イギリス留学の時、実際にラグビーをなされ、紳士のスポーツと思われました。
帰国してから、演習の間に、所属していた、歩兵第3連隊の人間にラグビーを教えて、東京大学とラグビーの試合をしたり、しました。
そして、御自身もプレーヤーとして参加されたそうです。
他人との競技は、皇族はしません。
競う事が許されない、高貴なご身分でありながら、タックルをしたり、されたりしました。
秩父宮様は、ヤンチャな宮様、スポーツ宮様として人気が有りました。
昭和天皇の年子の弟宮様でありながら、マッターホルン登頂したり、結構アクティブな宮様でした。
残念ながら、子供がいない為に、秩父宮家は絶家になりました。
肺結核で、若くして、亡くなられました。
昭和天皇が見舞いたいと、亡くなる前に数回希望しても、伝染を怖れて宮内庁が合わせませんでした。
秩父宮様が、柘沼で養生されていました。
東京に近い所で死にたいと、御殿場から移住されていました。
そして、御危篤になり、その知らせが皇居の昭和天皇の知る所になりました。
朕は、誰が止めても、雍仁に会う。
昭和天皇が、戦後、唯一の意見を言われました。
秩父宮家に連絡が行きました。
兄上にお会いしたい。
これが、秩父宮様の最後の御言葉でした。
昭和天皇の御出になる、一時間前に、秩父宮様は、亡くなられました。
昭和天皇は、人払いをして、長い間、秩父宮様の御遺体の側を離れませんでした。
雍仁の死に目に会えなかった事が、朕の生涯の後悔である。
昭和天皇がそんな発言をしたのは、この時だけです。
エリザベス女王の即位式に、昭和天皇ではなく、上皇様の出席を進言なさったのも、秩父宮様でした。
直宮で有りながら、世間を良く御覧になっていました。
日本の発展は、若い世代の台頭からだと仰有っていました。
皇族で、唯一、宮号の競技場、秩父宮ラグビー場として、後世に名前を残された、秩父宮雍仁親王殿下。
ワールドカップ開催を天国で喜んでいられるでしょう。