私が、産まれて育ち、青春時代を過ごした昭和と言う時代。
幻の昭和64年と言われるほど、僅か8日の短命でした。
私のとって、昭和の幕切れは予想外の事件のあった日でも有りました。
私の祖父は、生粋の帝国軍人でした。
陸軍連隊長を務め、皇軍の軍人である事を誇りにしていました。
昭和天皇の御前に参内して、中国戦線の戦況報告をした事を生涯の名誉としていました。
昭和天皇の亡くなった夜、私は祖父のいる本家に新年の挨拶に行きました。
仕事が忙しくて、正月休みが取れないでいたから、やっと8日の夜、行きました。
虫の報せでしょうか?
嫌な予感がしていました。
新年の挨拶には、人並み以上に拘る祖父が、外孫筆頭の私の挨拶を上の空で聞いていました。
祖母も、不思議に思ったらしく、私に泊まるよう言いました。
いつもなら、早く寝る祖父が深酒していました。
思い詰めた様子が気になりました。
祖父が部屋に戻った後で、伝家の宝刀、備前長船が、所定の位置に無い事に気付きました。
正月は、15日まで大小二本の備前長船は、客殿に飾って有ります。
帯刀の小刀、研ぎ澄ました切れ味は、銘刀に相応しい物です。
私は、酔い醒まし用のみかんを持って、祖父の部屋に行きました。
祖父の部屋の扉を開けて驚きました。
祖父は、畳を一枚、裏返しにして、白装束を着ていました。
備前長船の小刀を見つめていました。
私は、祖父の顔面にみかんを投げました。
おのれ、昌昭。
祖父は、私に斬りかかりました。
酔っ払いに斬られる私ではありません。
手刀で、祖父の手首を叩いて、小刀を落として、バックを取り、垂直落下式のバックドロップで祖父を投げました。
私は、備前長船を取り押さえました。
昌昭、殉死の邪魔をするでないわ。
聖上亡き今、この世に未練などないわ。
珍しく祖父が泣いていました。
そこへ、祖母が来ました。
昌昭、備前長船を持って下がりなさい。
祖父と祖母は、一時間くらい会話をしていました。
私は、不測の事態に備えていましたが、無事に済みました。
祖父は、その後も長生きしました
祖母は、一言、昌昭、良く停めてくれましたね。
もし、祖父が素面だったら、私は斬られていたでしょう。
昭和の最後の夜は、大変な夜でした。