門松は、どの家も、斜めに切って飾ります。
しかし、江戸以前の門松は、竹を切っていません。
あれは、徳川家康が三方原の合戦で破れた翌年から、門松を斜めに切るようになったと言われています。
竹切りて
松が栄える
明日かな
武田と竹を懸けています。
武田を切って、松平が栄える明日を迎えたい。
一種の呪詛なんです。
しかし、我が一族は、武田一族ですから、門松は斜めに切りません。
3つ並列に並べるだけです。
松と、梅も一緒に門松に縛りますけどね。
我が一族の固まっている地域は、どの家も門松を斜めには切らないから、他所から来た人は驚きますね。
徳川は、新田の分家です。
しかし、武田は、新田と同格の鎮守府将軍、源頼義の子孫です。
徳川には負けたけど、自尊心までは捨てていません。
門松を切らない一族
それが、我が一族です