伊豆には、多くの心霊スポットが有ります。
一碧湖と旧天城トンネルがその双璧と言っても過言では無いでしょう。
その一つの天城トンネルは、私の家からはさほど遠く有りません。
専門学校時代の友人達が肝試しと称して、真夏の深夜に行って散々な目にあった事は過去にも書きました。
しかし、旧天城トンネルの悲惨な事件はその一件だけでは有りませんでした。
あのトンネルを造る時に、さらに悲惨な事件が有りました。
戦前の土木工事には、昔からの風習が幾つか残っていました。
例えば、人柱の風習が残っていたのです。
城を造る時に、人柱を使っていた事は私も知っています。
しかし、トンネルを造る時に、人柱を本当に使っていたとは知りませんでした。
噂の域を出ないけど、火の無い所に煙は立ちません。
ある死刑囚が人柱に決まりました。
運ばれる前に、家族に面会する機会が与えられました。
死刑囚は、薄々気付いていたらしく、家族に自分は人柱にされるらしいと語りました。
それから数日後に、死刑囚は人柱にされてしまいました。
家族もどこに埋められたかは知らされないでいました。
それから数年後に、死刑囚の家族は旧天城トンネルを歩いて越える事になりました。
バスが故障して、浄蓮の滝から上に行けなくなりました。
しかし、遅くとも湯ヶ野には行かなくてはならない用事が有りました。
日付が代わる頃、旧天城トンネルを歩いていました。
生暖かい風が急に吹き出しました。
絹子、苦労かけたな。
お前達にまた会えるなんて、嬉しいぞ。
死刑囚と家族は、しばし歓談をしてから無事にトンネルを越えました。
しかし、もう一人トンネルを歩いて越えた人がいました。
その人は、急いで梨本の人達に触れ回りました。
死刑囚の家族が災いをもたらすと触れ回りました。
駐在や在郷軍人が魔物狩りと称して家族を惨殺しました。
その場所は、それ以降幽霊スポットとして有名になるだけでなく、土砂崩れの多発地になりました。
だから、河津ループ橋が出来ました。
今では、家族が殺された場所には、誰も入れません。
流言で殺された家族。
死刑囚の家族とは言え哀れです。