私が小学校1年生になった時から・・・、
我が家は、山梨の清里というところで民宿を始めました。
清里は、開拓地です。
戦後ということかな・・・、
何もない開拓の地で、
ケンタッキー州から来たポール・ラッシュ先生から、
高冷地で生活していく術として、開拓者達は酪農などを教わったのです。
だから・・・、清里に昔からいる人々は今も、
ポール・ラッシュ“先生” なのです。
我が家は、ある時、ある事情で、酪農から民宿へと転身しました。
一時期、清里が大ブームになりましたが、それよりずっと前のことです。
そして、民宿を始めたその年・・・、父は死にました。
当時・・・、大きな民宿でした。
40人近く泊まれる民宿です。
母は、必死だったと思います。
年は・・・、ちょうど今の私くらいだったのです。。。。
夏休み・・・。
私や姉に、夏休みなどあるわけもなく、毎日毎日、お手伝いでした。
私は、まだ小学生・・・。
出来ることは限られていましたが、エプロンつけてお手伝いをしていると、
よくお客さんから褒められ、チップをもらいました。
褒められても、ちっとも嬉しくなかったことを覚えています。
姉は、中学生になっていたので、もうフルで仕事・・・、お手伝いというレベルではありません。
そして、私も高学年になり・・・中学になり・・・、
フルで、朝6時から夜9時まで働いていました。。。
母から・・・、一度も・・・、
「ありがとう!」 も 「ごめんね!」 も言われたことはなく、
「父親がいないウチは、家族で働くのが当たり前だ!」 と言われ、
「女だからって、絶対にバカにされたくはない!
あなたたちも、あのウチの子はホラっ!父親がいないからだ・・・とだけは、絶対に言われるようなことはするな!」 と、いつも言われていました。
母は、母親でもなく父親でもなく・・・、
ただ男のように・・・、男の人に甘く見られないように・・・、
そして、女だけでも生きていくために、必死だったのかもしれません。
まだ当時は、今みたいに女性に開かれた社会ではなかったですから・・・。
私は高校生になって、お付き合いをしていた人がいましたが、
夏!というキラキラした季節に、一緒に遊ぶことが出来ませんでした。
でも・・・、夜中に会いに来てくれるんです。
そして・・・、車のこない道路に座って、何の話だったか・・・、
高校生なので将来の夢の話かなんかだったかな・・・、
何時間も・・・、月や星を見ながら話していたのです。
なんかね・・・、
一緒にいることが嬉しいのだけど、ちょっと切なくて・・・、
純真(本当です、、、)な、夜中の密会でした・・・。
昨日の夜中・・・、
少しの嬉しさと感動と・・・、
でも切なさが心に同居して・・・、
それでも、ほんの少しの幸せを感じて・・・、
この小さな幸せを積み重ねていけたらな・・・と思いました。