闘病体験記(修正再掲載) | 星に願いを

星に願いを

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「輝いた宝石のカケラ」

私は病気で多くを失い、多くを得た。

〜〜〜

眼が見えにくくなったが
大事なものが見えるようになった

耳が聞きにくくなったが
人の話を真剣に聞くようになった

手が重い物が持てなくなったが
余計な欲も持たなくなった

足が少ししか歩けないが
幸せに向けてまっすぐに行くようになった

脳が難しい事が理解できないが
感謝の意味がわかるようになった

〜〜〜

そんな思いを、お話しようと思います。

病気や病院とは全く縁がないのが、私の自慢だった。突然の脳出血になり、救急車で運ばれれた。

仕事の徹夜明けに無理したためだった。血圧は気にしていたが、サプリだけを飲んで、薬は飲んでいなかった。 

脳出血で麻痺する人は、若者も最近は増えているようだ。私は右手と右足が麻痺しただけではなく、脳の高次脳機能障害で大変だった。

「失語症」という症状が最初に現れたた。「物」の意味は分かっていても、物の言葉を忘れた状態になった。たとえば時計がほしくても時計という「もの」の名前が分からない。

子供や妻の名前も忘れていた。まるで外国にいるような感じで「もの」は分かっていても単語がわからないような状態になった。

耳も「発音」されるものが聞き取れないものがいくつもある。例えば「はい」が「ひい」と聞こえ、話がわからなかった。アナウンサーの発音しか聞き取れない。

また記憶障害があり、一つの名前は覚えても、三つ以上続けて言われると三つ全て忘れた。足し算、掛け算、漢字も忘れ、小学一年生以下になったようだった。

しかし私にとって一番辛かったのは、目が悪くなったことだ。右下半分が見えなくなったばかりか、「焦点」が合わなくなった。

全てが近くも遠くも、ぼやけて見えず、そのうち頭が痛く、考えも、ぼーっとなり意識も遠のいていった。

現実にいるのか、夢の中にいるのかわからなくなった。目をつぶらないと生きていけない苦しさで、まだ手足の麻痺のほうがましだった。

今もブログを読むのも、書くのも大仕事。この手記も何度も読み直さないと、おかしな文章になった。そんな苦痛の中で嬉しいことがあった。

希望を見出せない病院の中で、二つだけ嬉しいことがあった。

一つは指のことだ。手術したすぐから、全く動かない手と足を、もんでいた。そうしたら、動かない手指だったが、親指がわずか五ミリくらい動いた。

たった五ミリのことが、大きな喜びになり「光」が見えてきた。私は親指を見つめながら、「親」が希望を与え「はげまして、くれているんだな」と思った。

それから一生懸命頑張って段々と他の指も動き出し始めた。なかなか動かなかったのが「小指」だった。

「小供」は言う事を聞かないものだと、苦笑してしまった。もう一つ、「空気」がこんなに有難いと思ったことはなかった。

暗い心、辛い最初の頃、妻が個室の窓を大きく開けてくれた時、思い切り外の空気を吸い込んた。そうしたら空気が体のすみずみまで沁みこみ、「生きている」と感じた。

何でもない空気がこんなにおいしいものだと初めて知った。

こんな小さな幸せを以前、詩にした事があるので、ここで紹介しておこう。

~~~

「いつもの朝」 

朝 カーテンを開いたら
暖かい光が 射しこんできた  

「おはよう」
太陽が明るい笑顔でごあいさつ

窓を少し開いたら
そよ風が舞い込んだ 

「おはよう」
風は 優しく頬を撫でながら  
ささやいた 

窓をいっぱい開いたら
風が木の葉を連れてきて
ほのかな 緑の香りが
部屋いっぱいに 広がった

木の葉たちに誘われて
ベッドの中を覗いてみたら…

「おはよう」
目の前で いつもの顔が
微笑んだ 

『おはよう!』

毎日の おはようは
沢山の幸せを
運んでくれて いたんだね  

~~~

何でもない毎日を、繰り返せること。これが本当の「有難い」幸せなこと。

あなたは窓を開けて空気を吸うことがありますか?あれば幸せな人です。あなたの指は何センチ動きますか?

もし三センチも動くなら、最高に幸せな人かも知れません。 

病気になって初めて、当たり前の事に感謝していなかったのに気付かされた。たった5ミリ動く事がどれだけ嬉しいか。手に感謝、 空気も感謝だった。 

私のように病気になれば、普通の事に感謝を感じるだろう。だが、病気になるわけにはいかない。

日頃、感謝を感じられない時に、試してみるといい事がある。右利きの場合、左手で一週間、お箸で食べてみる。

一週間したら、右手に、ご飯に感謝がわくだろう。当たり前の事に感謝がでるだろう。

夫婦に感謝できない時、試しに「失語症」になってみるといい。言葉は話せても、一週間、言葉を出さずに過ごしてみる。必要なときは、ジェスチャー、絵を描く、表情で語るなど。

実際、病気の最初は、こんな感じだった。そこで気付いた事がある。

いかに夫婦が一つになっていないか、わかった。 やってみると、発想、考え方、経験、知識、などが違うと、なかなか正確に伝わらない。経験や知識だけでも相手と語り合っていないと、伝わらない。

例えばパソコンの事を頼んでも、できない。子供なら「あれ」だけで伝わるが、妻には説明できず、わかってもらえない。

よく年配夫婦は、「あ・うん」の呼吸で伝わると言うが、病気を通して、一つになっていない現実がわかった。

この実験を通して、一週間したら、逆に相手のありがたさを知るだろう。夫婦関係が冷えていたら、感謝の心に変わるだろう。

最後に入院中、いつも唱えていた言葉を紹介しよう。

昨日の全てに感謝を捧げ
今日の一日に喜びを探し
明日の未来に希望の日を

同じ悲しい道を行くのなら
涙をふいて笑って行こう
同じ苦しい道を行くのなら
笑顔をもって歌っていこう

(おわり)