シングルマザーである自分を誇りに思っていて、

今やシングルであることがアイデンティティにもなりつつあるので、

この分では、もうパートナーとともに生きることなんてないんだろうなぁ、と

思い始めている私ですが。

 

 

これまでの私の人生で、

転機にいるのは

いつも、大好きな人だった。

 

 

 

離婚したときには、

旦那ではない、とても尊敬する人がいた。

一緒になろうなどとは思わないが、

自分が、尊敬して共に居たい、と思う人を

伴侶にしていない、ということに

自分を恥じた。

 

自分が、尊敬できない人とは共に居られない、ということを

思い知り、

その思いを無視して、自分をごまかしごまかし生きている間に

自分を卑下しきっていることが

耐えられなくなった。

 

そのくらいなら、

一人になって、ひとりで生きて

自分の価値を取り戻そう、と思った。

 

 

そのときの自分の決心は

本当に良かった、と今になってつくづく思っている。

今となっては、当時そこまで尊敬した人のことを

思い出すこともないけれど、

確かに、私の指標となってくれた人だ。

 

 

 

 

 

 

一人になって、ほぼその日暮らしのように

職を変えながら口に糊していたとき、

当時、自己卑下の極みで地を這っていたような私に

偏見なく暖かく接してくれた人がいた。

 

そのときは、私は毎日の暮らしに必死すぎて

「こんな私に親切なんて、物好きな人もいるものだ」くらいで

特に気にすることもなかった。

 

 

 

そうやって、せっせと暮らしていたある日突然、

「あの、私に温かかった人に近いところで

日々をすごすことは出来ないだろうか?」という思いが

去来する。

 

そして、同業種で

働くことになるのである。

結果として、その仕事を選んだことが

その後の私の転機となる。

 

 

 

転機となってくれた人たちと

これまで、共に生きられたことはない。

ただ、ずっと尊敬させてくれていること、

ずっと大好きだと思わせてくれていることに

とても感謝している。

 

 

 

 

職に就いた転機の頃に行った、

「ほぼ日刊イトイ新聞」のイベントでもらったカードより。

 

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