昨日、近所に住む母の家に遊びに行きました。

母の住んでいるところはうちから自転車で10分もかからないご近所なのですが、

まぁめったに行きません。月に1回くらいかな。

別に仲が悪いわけでなく、

特に用事がないと、私がなかなか母のところに寄らないだけです。

 

母は父と別居していて、今は悠々のシングルライフ。

GLAYの長年のファンで、母宅に行くとたいてい

「次は横浜でライブがあるので行く」みたいな話を聞きます。

 

 

昨日は、私がJKと喧嘩をした直後だったことから

「JKの反抗期は高校になって収まったが、やっぱりしんどい感じ」

という話を母にしてて、

 

私が「JKは家ではずーーーっと不機嫌でグチっているので、JKと一緒にいてると気持ちがしんどい」と言うと、

母が「それはおかしい。子どもに気を使いすぎている」と言うので、

改めて、JKと私の親子関係について、客観的に母と考察してみました。

 

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先日の嵐山だって、いきなりJKが「行きたい。明日。」というので

私があわてて用意をした。

 

 

すると、やっぱり

私がJKに気持ちを取られすぎ。

 

JKが不機嫌に当り散らすので、

私はどうすればJKが機嫌良くなるのか、とずーーーっ考えていて、

先回りして用意周到にしているし(JKの好きなお菓子を常備したり、

食事や洗濯物なども先先を考えて準備している)、

「欲しい」というものは探し回ってでも入手して与えているし、

グチも黙って聞いて、「私のどこが到らないのか。何か改善できることはないか?」と考えている。

 

客観的に見てみると、

これって親の子どもに対する態度じゃないよね。

 

 

もちろん、出来る範囲でなら、

その親御さんも子どもの希望は叶えようとなさっているだろう、と思う。

ただ、私の場合、

無理をしてでも何とかする、というのが

「親として当たり前」と思い込んでいる。

だから、時には自分の食べるものを我慢して、JKの欲しがるものを買う。

 

 

その「無理をしてでも、子どもの希望を受け入れる」というのが

おかしいし、

JKが増長してわがまま三昧になっている原因ではないか、

 

という結論になった。

 

そりゃそうだわな

と、こうして改めて文章にしてみると、つくづく思う。

 

 

それは、シングルマザーゆえの子どもへの負い目、というより

私の人に対する性質の特徴で、

自分で言うのもなんだが、優しすぎる、のです。

 

 

そんなことを考えていた今朝、

ちょうどいい記事が松原靖樹さんのメルマガに載ってたので

全文転載で紹介します。

 

 

【ほぼ日コラム】優しさ・正しさで、苦しむ苦しむ

日常でも、個別コンサルティングをやっていてもよく感じることがあります。
優しい人や正しいことを守る人ほど苦しくなるということ。

優しい人は優しいことに、
正しさを守る人は正しさに、
それぞれよく気がつきます。
そこに価値観があるからです。

価値観があると視点が生まれます。
視点が生まれるのでよく気がつく、のです。

そして「よく気がつく」ということそのものが、
自分を苦しめる苦しめる原因になることがよくあります。

なぜなら自分には価値観があるため熟練しているのに、
他の人にはその価値観がないから劣っているわけです。
だから必然的に、劣っているところに気がつくわけです。

劣っているということは、至らないということです。
至らないというのは、自分の価値観を基準にして至らないということです。

そして人によっては、
「優しい」とか「正しい」という素晴らしい価値観を持っているそのことのために至らないところをどうにかしたくなって、勝手に自分で自分を苦しめます。

例えば人に指摘したり、変えようとしたり、
場合によっては批判、非難したりします。
そうなると相手はもちろんですが、結局自分が苦しく苦しくなります。


ちなみに、
主にコミュニケーションを中心にした人間関係に問題が起こります。

逆に言えば、
人間関係に問題があるときは、
自分の美しい価値観を疑ってみることも考え方としてはありです。


その場合の対応は色々ありますが、
まずは自分がどの価値観によって苦しんでいるかに気がつくことです。
気がつくだけで解消されるものもあります。


もう少し本格的に取り組むのなら、
一度その価値観をやめてみることです。

価値観をやめるというのはなかなか難しいです。

これまでの自分を否定する気になるし、
自分を支えていたエトセトラが全て崩れ去るような感じがします。
不安も湧いてきます。
しかしやめてみることです。
不安は避けるのではなく味わいます。

やめてみれば全く違った世界が見えてきます。
もう一押しすると、
「やめてみる」習慣を身につけると爆発的に成長します。


人は怖いことや不安を避けることには一生懸命になりますが、
優しさや正しさなどの美しい価値観を避けることには
頑強な抵抗を示します。

この2つのパターンをたまに逆にしてみると
これまでに見えてこなかった世界が顔を覗かせます。
少なくとも、全く解決しなかった問題の絡まった糸がほどけはじめます。

心が苦しい苦しい状態のときに試してみるといい方法の1つです。




松原靖樹
 

 

 

 

人間関係において、「意地悪だから嫌い」と言われることはあっても

「優しいから嫌い」と言われることはまずないです。

だから、「優しさは万能」と思ってしまう。

 

実際には、人間関係がしんどくなっている時は

「優しさ」や「正しさ」が過剰になっていることが多いです。

だって、「優しくしない」や「正しくしない」が解決の糸口になるなんて、

「優しさ」「正しさ」フル発揮の最中には考えもつかないから。

 

 

 

というわけで、昨夜の喧嘩以来

いつもは「私がもっと妥協して、気持ちを汲んでやらないと」と思ってたところを

今回は放って、私は黙って仕事しています(在宅ワーカーなので家で仕事)。

 

JKは今日は口癖のように繰り返していたグチも言わず、

おとなしくスポーツジムに出かけていきました。

 

 

「優しさ」というのは、

相手に対する優しさと同じ分量だけ、自分にも同時に優しくないと

どっちのためにもならないんだろうなぁ、と思う。