大阪に引っ越し、離婚成立して、

正月を娘と過ごすようになって4年目。

その間、元ダンナの親族からの

娘へのお年玉やお祝いはなし。


まぁ、私に付いて暮らしてるということ
で、

母親もろとも

「勘当」って扱いなんだろね、

と思ってた。



それが、今年の正月は

元ダンナ側の祖母から

お年玉が届いた。

え、今まで忘れてただけ?


いや、多分これは

「受け取り運」が

発動してきたんだと思う。



「受け取り運」。

今まで、あらゆる場所でさんざん

「受け取り上手になってくださいね」

と言われまくり、

私だってそうなりたいけど

「くれ」って勇気出して言ったら

めっちゃ軽蔑されこそすれ

もらえた試しないし、

だからって黙ってたら

クレクレ言われるばっかりだし

もう私グレてもいいですか?

という感じで、

いっそ「受け取り」ははじめっからないってことで

人生考えても良いですか?

とさえ

思ってました。


で、実際に

「受け取り」は私には

はじめっからない、という前提で

生きてるもんだから

なかったんだわな、「受け取り」運

私には。


自分に「受け取り」運がない、と

思い込んでいる私が

切に切に願っているのが、

我が子たちには

受け取り運が当たり前にありますように、

ということ。


なので、

甘々与えまくり親、を

してきました。

それこそ、「子どもに与えて甘やかしてはいけない」がモットーの

私の親がみたら怒り出すくらい。

(だから親には言わん。笑。)


それで、

シングルマザーの私は

きゅうきゅうと稼ぐのに必死なのに、

遠慮なくあれ欲しいこれ欲しい、の

娘が出来上がる。

遠方に暮らす息子も

いつも「お金ない」と言ってて、

親として充分にしてやれてない、と

心苦しかった。



そして、昨年。

遠方の息子はバイトを始めた。

セッセと働いているらしい。

確かに、そういうとこで

役割を得ると

張り切る兄ちゃんだった。


その彼から、

「自分で稼げるようになったので

送ってもらってたお小遣いは

もういいです」と

メールが来たのが昨年秋。


我が子が社会で人さまから

お金を貰える身になった、というのは

嬉しいものです。


そして、今年から

いきなり復活した、

娘の祖母からのお年玉。


「受け取り」って

相手次第のことだから

自分からは調整したり

望んだりは出来ない、と

思っていました。


でも、

これも、当たり前に

現実に反映されるのね。


「貰えないから、自分で稼ぎ出さなきゃ」

という、私自身への思い込みも

「せめて、子どもたちには受け取り運を」

という願いも

そのままそっくり叶ってる。

ただしタイムラグはあるが。


人の幸せを願うこと、

自分の可能性を信じること、は

絶大な現実化の力を持つ。

その際、

「人間を鍛えなければ」という意識で

厳しい願いを出す必要は

ないんだな、と思う。


願いは

大甘でいいのね、

人についても

自分についても。



大甘な願いに甘んじよう。