更新、久しぶりすぎ!




私は、今までの人間関係で
「人からのコントロール」に
繰り返し悩まされてきて、
多分そこらへんが、私の人生のテーマだと
思えるのですが、
最近、その「人からのコントロール」について
客観的に見られるようになってきたみたいなので、
その考察を書いてみます。



「人からのコントロール」を受けやすい人間だな、と
自分について思っていて、
要所要所で悩んできました。

「人からのコントロール」を受けやすい、というのは、
「相手に都合が良くて、こちらにとっては意に沿わないこと」を
いつの間にかしてしまう、ということ。
相手のご機嫌がやたらと気になって、
相手のコントロールに乗ってしまう。

こうなってしまう関係の組み合わせ、というのは
「自分で出来ることに自信がない人間(=自分には能力がないかもしれないので、人にやってもらわないといけない)」と
「自分で決めることに自信がない人間(=自分の判断は間違ってるかもしれないから、人に決めてもらわないといけない)」の
組み合わせ。

つまり、
「行動を怠ける人」と
「決定を怠ける人」の
組み合わせ。

口ばっかりの人、と
パシリ、の
誕生です。



パシリ、は何故
口ばっかりの人の
言いなりになるのか?

そこには、
口ばっかりの人が
パシリにかける、呪文があります。


その呪文とは、
「他の人には言ってはいけない。」


私とお前の間に起こっていることを
他の誰にも言うな、
もし言ったら、お前はひどい目に合うぞ、
という
呪文。

まぁ、こう言ってる時点で
世間様に晒せないようなことをしてるんだ、と
言ってるようなもんなんですけどね。


「人からのコントロール」を受けている時の
違和感は
きっと感じているはず。
でも、パシリは
自分の判断力に自信がないから、
せっかく感じた違和感を
「そんなわけがない」と
否定してしまう。


「人からのコントロール」から抜け出すには、
「他の人に言う」ことだ。
それは、パシリにとっては
軽口で、告げ口で、不誠実で
忍耐力がない
イヤな奴、に
なることだと思う。


だけど、
ここで「決心」しよう。
多少のイヤな奴になるのと、
自分の人生のコントロールを自分に取り戻すのと
どっちが大事か?
他人好みの自分で生き続けるのと
自分好みの自分で生きるのと
どちらを選ぶか?

それを「決める」のだ、
自分で。



「あの人は
他の人に言うなって言うんだけど、

こんなことしてくるの、
私はイヤなんだ。」

そうやって「他の人に言うな」を晒した途端、
人からのコントロールは終わる。
コントロールの終焉が現実に現れるまでは
ちょっとタイムラグがあるけれど、
必ず現実のコントロールも終了する。



守秘義務を守る誠実さと
「他の人に言うな」を守ることは
一見似ているから、
コントロールに使いやすいんだろうね。
守秘義務と「他の人に言うな」の違いは、
守秘義務は、それを黙ってても明るみにしても自分の身に変化はなくて、
「他の人に言うな」は、それを黙っている間、
自分が我慢しなければいけないことがある、という
違いだと思うよ。