この記事の続きです。

あらゆる感情のその手前に
どうやらえらく分厚い壁があるぞ、と
気付いた、の続き。

それは
「“どうせ、私は”裁くことも裁かれることもできない」
「“どうせ、私は”許すことも許されることもできない」
“どうせ、私は”負けることも負けられることもできない」という、
“どうせ、私は”のオンパレード。

これって・・・
仁さん名物

『拗ね』

ってやつですか?!



えーー、
拗ねてるなんて、
思いもしなかった・・・。


あまりに当たり前に存在しすぎて
そこにあることさえ
ぜーんぜん気が付かなかったそれは

『どうせ、私なんて
全然価値がありませんから!!』

の、拗ねまくりの壁・・。

うーん、いつからあるんだこれ?
物心ついた時には、もうあったぞ・・。


そういや職場でも、
「拗ねまくり」の子供っているよ。
「自分は、自分は」って主張する、
他人の間違いを指摘するのに必死。

私、そういう子供だったもんなぁ、
子供の頃から拗ねてたんだ。
拗ねてるのが当たり前過ぎて、
拗ねてることにさえ気が付かなかった。


拗ねるのに慣れ過ぎて
拗ねてるのが居心地がいい。
だから、自分が拗ねられるようなことばかり
自分の周りに引き寄せて、
「ほーら、どうせ私なんて!」と
拗ね歴史を重ねてきた。

もはや、拗ねる以外の思考回路を
思いつかない・・。

(続く)