今勤めている、チョコレート工場の職場では

とっても私と似ている状況の友人が何人もできました。

そもそも、友人って自分の鏡でもあると思うんだけど、

自分と似た感じの人と仲良くなって嬉しいな、というのは

ここにきて、

自分が好きになってきたってことかな、と。




その友人の一人、

3人のお子さんがいて、とっても良く働き

パワーも思いやりもあるお母さんと

お昼休みに話していたこと。


とっても良く動き、お子さんへの愛情も行動も強く、

家にお金を入れず離婚寸前らしいご主人のかわりにバリバリ働く

すてきなお母さんの彼女なのですが、

そんな彼女に対して、お子さんたちがちっとも感謝してない。

もっとも、彼女は当然のこととして子育てしてるので

別に感謝を要求しているわけではないのですが、

お母さんが働いてくたくたになって帰ってこようが、

具合が悪くて倒れようが、

子供たちは何もせず、何も心配せず。

思いやりが全くないという。


「きっと、私のこと『スーパーお母さん』だとでも思ってるのよ。

ほっときゃ、そのうち元に戻るって思ってるんじゃない?」と

彼女は言う。




実は、私もそういう状況なので

彼女とすんごくうなづきあいました。




「スーパーお母さん」という「機械」だと

子供たちに思われてる感じがするのです。

結婚している時は

元夫に「スーパー妻」という電化製品だと

思われている気もした。


家族に「独立した一つの人格」として

扱われてない。

子供には

「お母さんは、私のために何でもしてくれる存在。

私の考え方をそのまま全部持っていて、私のために動いていて、

人格はない」

とみられている。

だから、扱いは「機械」と同じ。

普段はただ使われていて、

壊れた時に、文句を言われる。




その背景には、お母さんである私たちが

「子供や家族を自分よりも最優先しなくてはいけない」

という思い込みがある。

それが、いいお母さん、いい妻だから。

それがいい家族だから。

もしも自分が自分自身の「人格」を出したら

家族は荒れて私を拒否し、家族は崩壊する、と

信じ込んでいる。



私の場合は、母親が「子供には人格がなくて自分と同じ」という

扱いをした人なので、

母の考えを自分の考えとして受け入れなければ母に見捨てられる、と

必死に思い込んだことが

影響してるんだと思う。

自分が個性を否定された子供で、辛かったので、

わが子にはそうはすまいと

子供のことを最優先してきた。



結局は、

私の人格を譲り渡すことを

「母」から「家族」「子供」に

移動してただけ。




「子育てを間違ってたのかしら」と

友達は言っていたが、

私たちは子育てはちゃんとやったんだよ~きっと。

ただ、

自分の人格を自分に取り戻していなかった。




こういう人格譲り渡しから抜け出そうとするとき、

相手から「抜け出させまい」という

攻撃があるはず。

大抵は

「私のこともっと見て」

「私のこと好きじゃないんでしょう?」という

『今までどおり人格をよこせ』攻撃。

それを受けると、つい

「愛情が足りないのかしら?もっとかまってあげなきゃいけないのかしら?」

と悩んでしまう。


そこで、

「あなたのことは好き。

でも、自分のことはそれとは別格で好き。

だって自分だから。」と言い切って

自分を大切にすることが、

私にも、彼女にも必要だったんだね。




万能家電「スーパーお母さん」を廃業して

生身でお母さんもやってる一人の女として

家族も、周りもドギマギさせてみようか、

ね。