私がまだ結婚していた頃(2年前までですね)、


私は夫と居るのが苦痛でした。


なぜだか知らないけど、とても傷つく。


心が疲れ、自分が何の価値もない人間のように思えて


エネルギーがなくなる。


そんな結婚生活は嫌なので、


苦痛を感じる言動について夫に訴えると


夫からは


「俺に文句を言うな、


他で愚痴っておさめてこい」と


言われたものです。



だから、当時の私には


たくさんの憂さ晴らしが必要でした。


外に出る、自己啓発本を読む、セミナーに行く・・・など。


友達に愚痴ったり、はできるだけ控えていました。


人に愚痴れば、愚痴った相手に気の毒だなぁと思う。


それなら、愚痴らないで済むような憂さ晴らしのほうがいい。



夫との関係でストレスが溜まれば、


憂さ晴らしをして、必死で心を修復する日々。


これで元気にやっていけるかな、と再び夫と接しては


またストレスが溜まって疲れ切る、の繰り返し。


なんて私は心が弱いんだろう、と自分を責めていました。



その後、一念発起して家を出て、


夫と別れてシングルになったわけですが、


結婚当時必要だった憂さ晴らしの数々が


必要なくなりました。



「憂さ晴らしって、別にしなくてもいいんだ」と


分かりました。



今は、仕事が非常に苦痛で


なぜだか知らないけど、とても傷つき



心が疲れ、自分が何の価値もない人間のように思えて


エネルギーがなくなる状態なので、


あ、これはまた


「心が折れる⇔憂さ晴らしで何とか修復」


の無限ループをやってるな、と感じます。


がんばればいつかこのループが終わって心が強くなって


傷つくことなどなくなるのではないか、と期待を抱いて


以前は何年も何年も無限ループを続けていた私ですが、


今は、どんなに頑張っても無限ループが終わることはないと知っています。


「心折れる⇔憂さ晴らしで回復」の無限ループにはまってしまったら、

 

もう、その場から飛び出して無限ループから抜け出すしかない。


それは逃げではなく、


むしろ


無限ループから飛び出すこと怖さに


「いや、もう少し頑張れば良くなるかもしれない」と理由つけて


飛び出さずにごまかし続けることのほうが、


よっぽど、逃げなのです。