水野哲夫「性の多様性認識の現状と課題を考える」『歴史地理教育』915号、4~11ページ。

1.はじめに

 著者は関東の大学や高校などでセクソロジー(性教育)やセクシュアリティ(人間の性と生)に関わる授業を担当している性教育の実践者、性教育実践の研究者である。歴史地理教育2020年10月号の特集「もっと広めたい!性の多様性認識」についての基調的な内容を本稿で提示している。

2.学校現場における性の多様性認識現状

 2011年から2013年にかけて行われた「LGBT意識調査」を分析するのなかで、水野は調査そのものに言及している。意識調査では「性の多様性」を問いながら、その設問の内容はLGBTあるいは性的マイノリティであることしかとらえていない、つまり性の多様性の一側面しか測っていないことを指摘し、性の多様性はマジョリティを含む「すべての人の織りなす現実」であると述べる。

3.性の多様性を認識するとはどういうことか

 性的マイノリティに関する知識が、性の多様性に関する知見の不可欠な一部分をなしていることは間違いないが、それでは性の多様性認識は部分的であり、一面的なものにとどまる。水野はそのような現状の原因が、自己や他者のセクシュアリティについての学びがあまりにも欠けていることにあるとしている。「LGBTを知る」学習だけではなく、SOGI(ソジー 性的指向・性自認)といった、すべての人に関わる性を捉える概念を使って、そこに多様に一づく私たちの「性の多様性」について学び考える教育が必要であると水野は述べる。

 水野は次に「性の多様性とは性的マイノリティだけではなく、すべての人の織りなす現実である」ことが認識されればそれで終わりなのか、ということを考える。「わたし」は多層的な存在で、性的な面だけでなく、あらゆる意味で多様な存在である。すべての個人は世界で唯一無二のかけがえのない存在だ。
 性の多様性認識が、人間そのものの多様性と個人のかけがえのなさの認識につながることを水野は期待している。性の多様性認識は、個人の尊厳と人権意識への回路となることで、より大きな意味をもつと水野は考えている。さらに広がって、性の多様性認識が人権認識に結びつくとともに、交差性あるいは複合差別という認識にも結び付いてほしい、と。

4.学校が問われていること

 ここまでの水野の議論を要約すると、性の多様性への認識を広げるということは、性にかぎらず個人の存在が多様であることを認識するということであり、しかも多様性を「尊重する」ことが大切だということになる。水野は多様性の尊重のためには学校が人権尊重の場になれるかどうかが大切だと考えている。学校を教職員、児童・生徒をはじめとしたすべての人が安心できる場所にすることが大前提だ。

 また学校は伝統的に「性別二分法」を重視してきた。性別二分法と異性愛標準主義は、多様性の尊重とは矛盾を抱えている。その発露が「制服のスカートとスラックスのどちらも選べるようにしてほしい」というトランスジェンダー生徒からの要望が出されたときである。その際には2つの方向性がある。1つは現行の枠組みの中での解決、もうひとつは枠組み自体を問い直す方向での問題提起や解決だ。後者の事例は、制服問題を一部のトランスジェンダー当事者だけの問題としてではなく、すべての人の問題としてもとらえている。
 制服以外の問題でも、これまで不問にされてきた性別二分法に基づく「学校の当たり前」を問い直すことは、実はすべての児童・生徒たちに関わる問題であるかもしれない。この問い直しには、新たな幅広い視点をもつことが必要だが、それらの視点を獲得していくためには、なによりも児童・生徒・教職員の性の多様性に対する学びが保証されなくてはならないと水野は述べる。

5.LGBT教育からSOGI教育へ

 「そもそも学ぶ機会がない」日本だが、数少ない機会を生かして性の多様性に関する学びを進めていくことができる。性的指向と性辞任はすべての人がさまざまな形で持っているものだ。この「SOGI」という概念を使うことにより、「性の多様性」が性的マイノリティだけの問題ではないことが理解しやすくなり、そして、すべての人が「自分のこと」として「性の多様性」を学ぶ基盤を広げることができる。