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 野田市は千葉県北西部に位置する人口約15万人の市で、醤油の五代名産地の1つです。野田市の駅を降りると、駅名の看板の下にキッコーマンのロゴとともに、キッコーマン野田本社前と書かれています。駅前には大きなキッコーマンの工場がみえ、まちのいたるところにこのような電信柱がありました。これらのことからも、野田がキッコーマンの企業城下町だということが分かります。

 

 野田市市民会館とそれに併設されている郷土博物館は、野田の大醸造家のひとり茂木佐平治が邸宅として建てたものを寄付され、現在に至っています。その庭園はコスプレイヤーにも人気なようで、よく撮影が行われているようでした。

 市民会館から少し行ったところに通称・茂木佐公園があります。ここは茂木家の敷地内で、それを茂木氏は市民に開放して公園にしました。右奥にみえる鳥居と社は、茂木家の庭内神をまつっています。左側の塔のようなものは、以前、雨ごいのお祭りで使われていたようです。

 

 さてそもそもキッコーマンとは、野田市にあった醸造家があつまって結成された会社です。野田市にはキッコーマンに参加した以外にも醸造業者がありました。そのうちのひとつが、キノエネ醤油です。その工場は昔ながらの姿を現在に残しています。この黒塀の前で小津安二郎監督の作品が撮影されたこともあるようです。

 

 さて、つけもの坂倉という看板が見える建物ですが、ここも過去は醤油の製造に関係していました。現在は壊されて駐車場になっているようですが、過去には奥に蔵がありました。その蔵から大通りには人車鉄道(トロッコのようなもの)の線路が引いてありました。野田の街にはたくさん醤油蔵があり、そこから醤油を運び出したり、原料を運び入れたりするために人車鉄道が盛んに利用されていました。蔵から大通りにでる出口が少しカーブになっているのは、トロッコのスピードが出すぎて飛び出してしまわないための工夫だとか。

 

 このように醤油で繁栄していた野田市ですが、現在は工場や醤油蔵の数が激減してしまっています。特に工場は北海道に移設されてしまったようです。現在は国道沿いの方が栄えているようで、ところどころに古い商店があったりして繁栄のあとを見ることができたのですが、街中は寂れてしまっていました。

 

 さてこのきれいで近代的な建物が、キッコーマン野田本社です。東京にも別に東京本社があるようですが、創業の地ということで野田市のことも大事にしてくれているようです。

 そのキッコーマンの創業者一族である茂木氏の邸宅が、現在も野田にあります。レンガ造りの塀と黒塗りの壁に囲まれた立派なお屋敷でした。なんでも茂木氏にはなかなかお会いできないようで、執事のかたが対応してくださるということも小耳にはさみました。

 

 現在の東武アーバンパークラインの野田市駅は、昔とは場所が移動しています。現在は車庫として使われているこの場所が、旧野田駅のプラットホーム跡です。東武野田線のルーツも醤油にあります。醤油の輸送を後述する舟便だけで行う不便さから、明治時代に鉄道を引こうということになります。そこで現在の柏駅から野田までを軽便鉄道で結ぶことが決まり、その野田駅の跡地が写真の場所にあったというわけです。

 

 場所を江戸川の方へ移しまして、上花輪歴史館の向かい側にはレンガ倉庫と工場跡地があります。レンガ倉庫は現在も残っていて最近まで使われていたようですが、工場跡は更地で草が生えていました。

 江戸川沿いに場所を移して、下河岸の桝田家住宅に到着です。現在は目の前に堤防がありますが、当時はなにもなく目の前はすぐ江戸川だったそうです。桝田氏は以前河岸問屋を営んでいました。その当時の建物が、現在も保存されています。