機関銃と植民地支配
 


 戊辰戦争がおわる翌年に、ヨーロッパでは普仏戦争(1870~71年)が勃発している。ドイツ帝国誕生の契機となるこの戦争で、機関銃は大砲と同列に扱われた。機関銃は大砲と同じような銃架に積まれて、前線の歩兵部隊ではなく後方の砲兵隊にゆだねられた。この戦争で機関銃は本来の役割を果たせずに、役に立たない兵器という評価を受けることになる
 機関銃は南北戦争以降のアメリカで急速に進化を遂げる。1884年にマクシムという人物が引き金を引けば全自動で連射する高性能の機関銃を発表し、1892年にはブラウニングという人物がガス圧で作動する全自動式の機関銃を改良した。

 ところで、19世紀末はヨーロッパ諸国による帝国主義政策が強力に推し進められた時代であった。アフリカ侵略をはじめとする帝国主義的な政策は人種的偏見に基づいていて、優れた白人が劣った黒人や黄色人種を文明化するという文脈で語られていた。実用的な機関銃が本領を発揮したのは、アフリカが植民地化される過程においてのことであった。機関銃はヨーロッパ諸国がアフリカで植民地を建設してその足場を固め、先住民たちを押さえつけることに真価を発揮した。

 機関銃はアフリカの植民地政策に必要不可欠な武器だったが、このようなアフリカにおける実地テストはヨーロッパにおける戦争には何の影響ももたらさなかった。その理由はヨーロッパ人のメンタリティー(心性)にある。当時のヨーロッパ人の多くは、黒人に対して自分たちより劣っているという思いを抱いていた。この侮蔑の感情は、敵を人間とは思わなくさせる。そして文明化の名のもとに、その土地と労働力を奪い、抵抗しようとすれば情け容赦なく叩き潰した。また現地に派遣された軍隊の多くが正規軍でなかったということも、機関銃がヨーロッパの戦争に影響を与えなかった理由に挙げられる。士官たちは植民地戦争をこれまでヨーロッパで戦われてきた、あるいは将来戦うであろう「本物の」戦争とはほとんど共通点のないものとしてみていた。

 こうして機関銃は、アフリカの先住民やそれに類する「下等な人種」に使う場合のみ適切な武器とみなされるようになった。