機関銃の黎明期
19世紀後半に至るまで、弾丸を連続で発射する機関というアイディアはあったものの、機関銃そのものはまだまだ机上の空論であった。列強諸国が第二次産業革命を経験して、連続発射に耐えられる金属や複雑な部品を工場で大量に生産できるようになるまで、機関銃は空想の産物であった。
実用的な機関銃が登場するのは、南北戦争期(1861~65年)のアメリカであった。1862年にガトリングという人物が機関銃を発明する。いわゆるガトリング銃である。これは人がクランクを回すことで複数の銃身を回転させて、給弾から発射に至るまでのサイクルを繰り返して連続的に発射する機関銃である。1877年の手紙で、彼はガトリング銃を発明したきっかけについて述べている。
1861年、南北戦争の緒戦の事変を通じて、(中略)私は大勢の兵士たちが前線に送られ、負傷し、病気になり、あるいは死体となって帰ってくるのをほとんど毎日みていました。生きて帰った傷病兵たちも、その多くは命を落とします。それも戦いで死ぬのではなく、病気や軍務につきものの疾病が原因で死んでいくのです。そこで、ふと私は思いつきました。もし機械を、機関銃を発明出来たら、とね。あの速射性があれば兵士100人分の仕事を1人でまかなえるだろう。大げさに言えば、それは大軍の必要性を無用にし、その結果戦禍や疾病にさらされる兵士を大幅に減らすことができるだろう、と考えたのです。(エリス、48~49ページ)
ガトリングの思惑とは裏腹に、南北戦争はその緒戦から膨大な数の死傷者を出した。その訳は、マスケット銃に代わって普及していたライフル銃にあった。南北戦争における戦術は、基本的にはナポレオン戦争までのそれと同じだった。小銃で武装した兵士が、砲兵の支援をうけながら戦列を組んで行進し、指揮官の号令で一斉に射撃する横隊戦術が一般的であった。しかし兵士たちが武装した小銃は、マスケット銃ではなく、遠距離から正確な銃撃が可能なライフル銃であった。野戦における正規軍同士の戦いでは、ライフル銃で武装した兵士同士が撃ち合った。
発明されたばかりの機関銃は、南北戦争で戦局をかえるような役割を果たすことはなかった。むしろ、あまり使用されることはなかったようだ。しかしアメリカから遠く離れた日本では、戊辰戦争(1868~69年)においてガトリング銃が登場する。旧幕府側についた長岡藩が2丁のガトリング銃を輸入して戊辰戦争を戦うものの、これも大局を変えるには至らなかった。