3.15世紀における大砲
(1)15世紀の大砲
15世紀までの戦場は防御側が有利であった。野戦にせよ攻城戦にせよ、防衛陣地を構築して敵を待ち構えた方が有利だった。しかし15世紀になると、この防衛側のアドバンテージを大砲が覆すことになる。
フス戦争(15世紀)
「戦列歩兵の誕生と社会の変化(2/3)」で言及したので、詳細は該当ページを参照してもらいたい。フス戦争は15世紀初頭に中央ヨーロッパで勃発したカトリックとフス派の対立に端を発する戦争だ。フス派を軍事的に指揮したヤン=ジシカは、車両要塞を構築して移動要塞を築き上げた。大西巷一の『乙女戦争』はこの戦争を題材にしている。
フス派と対決した神聖ローマ帝国の軍勢は「異端者たちがたくさんの鉄砲をもっていて射ちまくり、また長い鉤[斧槍]を使って高貴な騎士や信仰心の厚い兵士たちを馬から引き落とす(ホール、173ページ)」のを目の当たりにした。車両要塞を描いた絵図からも、フス派は大小様々な火器で武装していたことがわかる。フス派は防御に有利な地形を見つけて、移動する城塞として車両要塞を布陣した。
車両要塞の前に皇帝軍の大砲は無力だった。フス派が車両要塞を構築して皇帝軍を待ち構えたのに対して、皇帝軍は常にフス派を攻める必要があった上に、大砲で車両要塞を攻撃しようとしても大砲は進軍する部隊のはるか後方にあるのが普通だった。また、大砲を運搬車両から降ろして特別な台座に据え付ける仕事に一日かそれ以上もかかったため、車両要塞に対して大砲は有効打を与えられなかった。
車両要塞の前に皇帝軍の大砲は無力だった。フス派が車両要塞を構築して皇帝軍を待ち構えたのに対して、皇帝軍は常にフス派を攻める必要があった上に、大砲で車両要塞を攻撃しようとしても大砲は進軍する部隊のはるか後方にあるのが普通だった。また、大砲を運搬車両から降ろして特別な台座に据え付ける仕事に一日かそれ以上もかかったため、車両要塞に対して大砲は有効打を与えられなかった。
ジシカの車両要塞による戦術的機動性は、後世の基準からみれば「機動性」とは言えないほど微々たる変化であった。しかしこのフス戦争で、火器が攻撃的な役割を演じる最初の一歩が踏み出されたのだった。
百年戦争(1337~1453年)
「オルレアンの乙女」ジャンヌ・ダルクが戦場に登場した百年戦争末期の1430年代末ころから、フランス国王は自ら指揮する国王軍の設立に力を注いでいた。この改革の中で、ビュロー兄弟が「砲兵隊」を組織・監督する。この砲兵隊の活躍は大砲の技術的な躍進というよりも、行政上、兵站上の努力によるところが大きかった。従来の大砲の運用、つまり砲の調達や管理は成り行き任せであった。しかしビュロー兄弟の砲兵隊は組織だったシステムとして構築された。バラバラだった人員や兵器、弾薬がすべて連動して機能するようになる。そして、国王が必要とするいかなる場所いかなる時にも攻城砲と支援火器の大量でかつ安定した供給が確保できるように整えられた。
ビュロー兄弟の成果はノルマンディー(1449~50年)とギエンヌ(1451~53年)で証明される。百年戦争におけるフランス軍の最終的な勝利は、大砲によるところが大きかった。
技術的な進歩をみると、百年戦争の最終局面にフランスが新型の火薬(粒化火薬)と鉄の弾丸を使用した可能性がある。またそれ以上に重要なのが、同じ時期に従来の砲の弱点をカバーする方策が編み出されたことだ。それまでの大砲は、砲を車両に載せて運搬してそのあと車両から砲架へ移し替えて使用した。百年戦争末期のフランスでは砲架に車輪を取り付けた台車である砲車と、その砲車の後ろに砲や弾薬箱をつけた二輪の車両が戦場に登場する。これによって、砲と砲架、弾薬がバラバラだったものが一緒に戦場に運搬されるようになり、より効率的に大砲を運用することが可能になった。
レコンキスタ(1492年)
国土回復運動とも訳されるレコンキスタの過程において、イベリア半島からイスラーム勢力を駆逐するために大砲は十分な威力を発揮した。グラナダ陥落は「大砲による征服」であった。これは単に量的な充実を語るものではなく、百年戦争の経験を生かした質的な精錬も、この「大砲による勝利」に寄与している。
具体例をあげれば、例えばキリスト教徒がイスラームの街ロンダを砲撃する時の様子を、あるキリスト教徒の年代記作者は次のように描写している。
具体例をあげれば、例えばキリスト教徒がイスラームの街ロンダを砲撃する時の様子を、あるキリスト教徒の年代記作者は次のように描写している。
その砲撃は大変激しくて途切れがなかったので、歩哨の職務についていたムーア人がお互いの声を聞き取るにもひどく苦労するほどだった。彼らは眠るときがなく、またどの部署が支援を必要としているかもわからなかった。なぜならある場所では射石砲が城壁を打ち倒し、別の場所では工場機械とクルトー(臼砲)が家々を壊したからである。大砲がもたらした損傷を修理しようと努めてもそれはできなかった。なぜならもっと小さい兵器から立て続けに発射される弾丸の雨あられが修理を妨げ、城壁の上にいる人をだれかれなしに殺したからである(ホール、197-198ページ)
フス戦争に始まり、百年戦争を経験するにあたってヨーロッパのキリスト教徒たちは大砲の技術を洗練させていった。イスラーム勢力に対するその質的な優位がレコンキスタにおける「大砲の勝利」を生んだのであった。