高校生は授業にさほど関心がない。渋谷を行く男女100人に「高校生活で一番おぼえていることは何ですか?」と聞いてみて、どれくらいの人が授業のことを挙げるだろうか。その回答の大半は部活動や恋愛を含む人間関係、アルバイトのことであろう。一般的な高校生にとって、ほとんどの授業は時間になると先生がきて、なんとなく時間が流れて、時間がくるとおわる、そういったものであろう。
 自分の高校生活を振り返ってみても、高校生活で特に覚えていることといえば高校2年生のときの演劇部の公演のことくらいだ。授業のことといえば、化学の先生の変な癖や容姿のことや高校1年生の時の世界史の先生がかわいかったこと、高校3年生の時の世界史の先生のウィスキーについての雑談くらいしか記憶に残っているものはない。
 
 高校生は受験勉強に心血を注ぐ。部活動を引退した生徒は、大学受験に首ったけになる。特に大学受験に熱心な進学校の生徒ほどこの傾向は強く、彼らにとって大学に入学することが究極の目標になる。学校の授業よりも予備校の映像授業などに重きを置くようになり、受験に使わない科目は特に「捨て教科」と呼ばれるようになる。
 高校世界史では、古代から現代まで様々な戦争や戦いが用語として登場する。生徒は受験対策ということで、これらの用語を暗記する。例えば「第一次ポエニ戦争」とくれば、「ローマ対カルタゴ」であり「シチリア島がローマの属州となった」と生徒は覚えるわけである。

 生徒は授業にさほど関心がなく、特に高校世界史は受験で世界史を使う生徒にとっては暗記の対象であり、使わない生徒にとっては「捨て教科」となる。このような現状で2022年度から歴史総合という新たな取り組みがはじまる。
 新しい学習指導要領の歴史総合の目標には、以下のことが掲げられている(【前段】【後段】は筆者が加筆、以下同じ)。
【前段】社会的事象の歴史的な見方・考え方を働かせ,課題を追究したり解決したりする活動を通して,
【後段】広い視野に立ち,グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の有為な形成者に必要な公民としての資質・能力を次のとおり育成する
https://www.mext.go.jp/content/1384661_6_1_3.pdf
 
 高校で世界史を学ぶ意義とは何であろうか。この問いに学習指導要領は【後段】のように答える。学習指導要領に言わせると、平和で民主的な国家及び社会を作るために必要な公民としての資質・能力を育むために高校で歴史を学ぶ、ということになる。そのための方法として、【前段】が述べられている。
 後日、読書メモを公開する予定の渡辺竜也著「Doing History:歴史で私たちは何ができるか?」では、歴史総合の学習指導要領の内容を踏まえてか、次のように述べている。
 「Doing History(歴史する)」とは、単に歴史学者のまねごとをするのではなく、社会生活をよりよくするために、そして民主主義社会をより発展させていくために、一般の人々が歴史を賢く使っていくことである。歴史学者や歴史教師でもなければ、これからそれらになるつもりもない人々たちを相手とする学校教育の、特に必修課程の歴史授業は、「Doing History」を意識したものでなければならない。
 ここに「暗記教科」「捨て教科」としての歴史の授業の問題点が示されているように思う。確かに多くの生徒にとって歴史は受験のツール、もしくは卒業のための手段であり、歴史学者や歴史教師になりたい生徒はごく一部であろう。この場合、最大多数の最大幸福を考えるならば、渡辺のいうような生徒が「善く生きる」ために必要な歴史を、民主主義の発展に寄与するような歴史を学ばせるのが必然であろう。渡辺はこの方法として実用主義を掲げているが、これについては後日の投稿で触れようと思う。
 
 高校で世界史を学ぶ意義とは何であろうか。私は渡辺の主張に100%同意することはできない。渡辺の主張は、歴史学者の卵として大学・大学院を過ごして歴史教師になった私にとっては耳の痛いものであった。納得する部分も多かった。しかし私は歴史を学ぶことを志して史学科の門をくぐり、これを卒業した。論文の執筆は苦しかったが楽しかった。歴史を学ぶこと・知ることはとても楽しいと思っている。
 
 高校で世界史を学ぶ意義とは何であろうか。「世界の歴史はロマンにあふれている。世界史は楽しいから、その楽しさを生徒に伝えたい」という短絡的な発想では、現実の生徒たちに対応することはできない。だからといって、「生徒が善く生きるために、民主主義の発展のために」歴史を学ぶという意見には完全には同意できない。そういう面も確かに存在する。しかしそれだけではないと思う。誤解を恐れずに言えば、渡辺の主張は熱量が低いように思える。
 
 生徒が歴史を学ぶ意義を今の私は言葉にすることができない。しかしこれを自らに問い続けることはできる。渡辺本のような自分以外の歴史を教えることに関する知見も得ながら、なぜ歴史を学ぶのか自らに問いながら日々を過ごすことはできる。生徒が善く生きるために歴史を学ぶという点にはとても同意するが、それは理論だけ成し遂げられることではなく、熱量だけでも成し遂げられないであろう。問い続け、苦闘しながら教材研究を続けることで、我々はなぜ歴史を学ぶのかという問いに迫れるのであろう。
 
 
 今年もよろしくお願いします。