1.目次

はじめに

 (1)「歴史離れ」が起こっている?

 (2)どうして多くの人たちが高校教師の教える歴史に興味がないのか

1.歴史をいかに教えるべきか?

 (1)三つの伝統

 (2)高校歴史教師の一風変わった行動はなぜ生じるのか? -実証主義的歴史研究のもたらしてきたもの

2.なぜ私たちは歴史的思考を学ばなければならないのか? -構成主義の可能性と課題

 (1)資料の厳密な読解と出典の確認

 (2)証拠や根拠のある歴史的推論

 (3)歴史的文脈への配慮

 (4)年代順の思考と物語

3.歴史で私たちは何ができるか? -実用主義の可能性と課題

 (1)来歴を知る:趣味・問題分析・判断根拠・アイデンティティの形成

 (2)教訓を得る:言い負かすため?対話のため?

 (3)人に歴史を伝える:みせびらかし・みせかけ・社会的責任

 (4)「たら・れば」を考える

 (5)歴史を乗り越える:歴史和解に何が必要か

おわりに -Doing Hitsoryとは何か

2.著者と本書について

 本書の著者である渡辺竜也氏は、1976年に広島県呉市に生まれる。広島大学大学院教育学研究科の博士後期課程を修了し、現在は東京学芸大学教育学部の准教授に就任している。専門は社会科教育学で、その業績は氏のホームページに詳しく掲載されている。かなり論文を書かれる先生らしく、その内容はアメリカにおける社会科学習の検討から教材研究・調査の方法論に関する研究まで幅広い。

3.要旨

 本書は歴史学を志して学問の道に入り、結果として教員になった私にとってはかなり耳の痛い話であった。はじめに渡辺は人々の「歴史離れ」を否定し、人々は高校教師の教える歴史に対して関心が極めて低いのだと看破する。
 高校の歴史教師の多くは、特に歴史を専門に学んできた歴史教師の多くは、実証主義の立場にこだわっていると渡辺は述べる。実証主義とは、歴史教師の使命は歴史学者の研究成果を正しく一般の人々に伝えることにあると考える主義で、学問的権威について自分の目や足で十分な確認をしないままに受け入れる姿勢を生み出すことになりかねない危険な考え方であると指摘している。
 しかし一方で、歴史学者が歴史を考える際の視座である歴史的思考は、歴史学者だけでなく一般の人々にも十分に活用できうるとする。歴史的思考とは、以下の4点をさす。
① 史料の厳密な読解と出典の確認
② 証拠や論拠のある歴史的推論
③ 歴史的文脈への配慮
④ 年代順の思考
 渡辺は歴史的思考は評価しながらも、歴史学者や歴史学出身の歴史教師が取りがちな実証主義というスタンスを否定している。それに対して、渡辺は実用主義こそが「なんのために人は歴史を学ぶのか」という問いに対して明確な答えをもちうると主張している。渡辺は、自分は歴史学者になるわけでもないのにどうして歴史を学ばなければならないのかという生徒の根源的な問いに対して、歴史教師が明確に回答できていないことを今の学校の歴史教育に対して人々が不満を持つ最大の原因に挙げる。実用主義こそ明確な答えを用意しうる主義であると渡辺は述べる。端的に言えば、「おわりに」で述べられているように、渡辺の立場は「Doing History」とは単に歴史学者のまねごとをすることではなく、社会生活をよりよくするために、そして民主主義社会をより進展させていくために、一般の人々が歴史を賢く使っていくことである、という立場である。そのための方法を、次のように分類して提示している。
① 来歴を知る:趣味・問題分析・判断根拠・アイデンティティの形成
② 教訓を得る:いい負かすため?対話のため?
③ 人に歴史を伝える:みせびらかし・みせかけ・社会的責任
④ 「たら」「れば」を考える
⑤ 歴史を乗り越える:歴史和解に何が必要か

4.感想など

 先に述べたように、私にとって非常に耳の痛い話であった。私自身が本書で指摘されているような実証主義を偏愛する歴史教師であることに気づかされた。渡辺は実証主義の活用できるところは活用すると述べながら、実用主義を推している。
 しかしこうなってくると、極端に言えば、文学部廃止論が首をもたげてくる。民主主義の発展に直接寄与できない文学部史学科のような学部学科は、縮小、もしくは廃止するべきだと。本当に文学部は必要ないのだろうか?
 また、前回のブログで述べたように、私は歴史を学ぶことは楽しいと思っている。学部・大学院でそれなりに苦労もしたが、またおそらく普通の大学生が送ってきたものとは異なるキャンパスライフだったとは思うが、総じて楽しかった。だからこそ、私のエゴかもしれないが、1人でもいいから生徒に歴史学を学ぶことは楽しいということを伝えたい。私はそういった熱量をもって毎回の授業にのぞみたいと思っている。
 確かに民主主義の発展に寄与する歴史教育は必要だ。しかしそれだけではないと思う。実証主義と実用主義とのバランスの中で、生徒のために苦闘することが歴史教師にできることなのではないだろうか。