フランシス=ベーコンは『ノヴム・オルガヌム』で印刷術・火薬・航海用磁針が「発見」されたことを述べる。しかしこれらのすべては、ベーコンから遡ること約700年前に中国で発明されていた。

 

 火薬は東アジアで誕生したが、その時期は定かではない。宋王朝の時代に最古の火薬の処方に関する処方がみられる。しかしそれよりも以前に、道家が不老不死の霊薬や錬金術を探求する過程で、「木炭」と「硫黄」、「硝石」の混合物である火薬が誕生したとされている。中国の諸王朝は、ヨーロッパ人よりも早く、焼夷弾や火炎放射器、爆弾、ロケット、大砲、手銃として火薬を兵器として利用していた。

 

 火薬の技術がどのようにして西洋に伝わったのかもまた、定かではない。中国の王朝は火薬の技術を門外不出としたが、北方民族の侵攻によってその秘密は暴露されてしまう。それが決定的になったのが、「モンゴルによる平和」が成立した13世紀から14世紀のことであった。火薬を使った兵器が最初に伝えられたのはイスラーム世界で、アリストテレスの著作など多くの思想や技術と同様に、スペイン中部やシチリア島のようなイスラームとキリスト教が融合する地域を通って西欧に伝播した。


 前述したように、火薬の材料は「木炭」、「硫黄」、「硝石」である。その中でも特に重要なのが硝石であり、火薬におけるこの物質の含有量は爆発の大きさを左右した。しかし硝石はヨーロッパでは非常に手に入りにくい物質であり、かつ湿気を吸収しやすいという弱点もあった。そのため初期の火薬兵器は高価であり、その運用も難しかった。


 この問題をある程度解消したのが粒状火薬である。従来の火薬は粉末状であり、火薬が外気と触れ合う面積が大きく、そのぶん湿気を吸収した。しかし粒化火薬は、その名の通り粒状で、粉末火薬と比べて外気と火薬が触れ合う面積は小さく、湿気を吸収しにくかった。この粒化火薬の技術によって、火薬はいくらか使いやすいものとなった。また人工的に硝石を作る作硝丘によって、15世紀から16世紀にかけて火薬の値段が下落すると、火薬兵器は戦場でよく使用されるようになった。
 

参考文献

 著:バート・S・ホール、訳:市場秦男『火器の誕生とヨーロッパの戦争』、平凡社、1999年。
 著:クライヴ・ポンティング、訳:伊藤綺『世界を変えた火薬の歴史』、原書房、2013年。
 

 

没になった原稿の弔いでした。