やりたいことがわからない…。
将来、何になりたいかわからない。やりたいことが無い。
だから、どこの大学、どこの高校に行きたいかもわからないし、学校の名前も知らない。
そもそも、国公立と私学の違いも解らない。
と、いう子は沢山います。
親御さんの方でも、まだ、将来を決めてしまうのは可哀想だし、遣りたいことが出てきた時、諦めないで済むような学力をつけて貰いたい。取り合えず、学校に付いて行けて、学校の成績が上がれば自信がついて、やりたいことも出て来るかもしれないから…。と。
しかし、この「取り合えず」は中々曲者で、子供の「取り合えず」とご家庭が望まれる「取り合えず」には少なからず、温度差があります。子供も成績が悪かったら、「もっと、良い点取りたいな」は正直な気持ちでしょう。その為に今まで以上に勉強しなければいけない。ということも分かっています。テストが返却される度に、「あ~!!」と本人が毎回、思い、その都度「勉強しよう!」とやる気が無いわけではありません。しかし、もっと出来るようになる為に、自分が思った以上の時間を勉強に費やして、その為に様々なこと(今まで自分が快適に過ごしてきた時間)を思った以上に減らさなければならない、とは中々気づきません。或いは今までやってきたこと(遊び、部活、お稽古事、趣味)も全部やりたいなら、最優先順位をそのままにして、その後にやる勉強は気力と体力で踏ん張らなければとても成績は上がらない。それも、やり続けねばいけない!、とも思っていないでしょう。
目標や、どうしても行きたいところがある。という子でないと、意思が揺らぎ、継続は難しいことです。
すると、大人は「やる気が無い!」と怒りだし、挙句に、やる気が無いなら何を言っても、無駄だよね。本人が決めることだから。と…。
そうなると、子供も弱いので、「取り合えず、高校には入らなきゃ。大学もみんな行くから入って、ゆっくりやりたいこと探そうかな。就職にも良いって言うし、何よりみんな高校、大学行ってるのに自分だけ働いているのも嫌だし。」ぐらいは、上からさんざん言われ続けていることなのでインプットされ、まるで自分の気持ちの様に「頑張る!」と応えます。
私自身が、通信にも何度の書いていることですが、特に学生の間は目標も持って歩んで欲しいと思っています。目標の為に計画、戦略を立てる。それにより、時に忍耐を強いられ、時に挫折しそうになり、自己嫌悪に陥っても、あきらめない気持ちを育み、一歩一歩、力を付け小目標から大目標へと達成感を味わうことを大人になる前に経験し、心を強く鍛えて欲しいと思うのです。
また、目標や夢が定まっている子は本当に強いのも事実です。
その反面、目標を見出せない子は、少しづつ勉強が出来る様になって手応を感じても、ゴールに近づく喜びを知らないので、やる気も徐々に失せて行き易い。
実際に、「目標」や「やりたいこと」と、「やる気」とは表裏をなしているとも言えます。
「でも!!」、と私は思うのです。
やりたいことが見つからなかったら、モチベーションが上がらない。やる気が出ない…?
そもそも、「やりたいことがわからない」とは、どうゆうことなのでしょう?
「やりたいこと」がわかっていれば、迷い無く、目指すべくゴールに向かってやる気が出て、そこからは、楽しい人生が待ってる?自分らしい個性を伸ばし、自由に生きるとはこういうことだろう。と、思うのでしょうか?
現実において、やりたいことがわかっていて、そうやって生きている人を見ると、それは必ずしも「楽しい」ということではありません。当たり前のことですが、やりたいことをする、それこそがやりたいことだからそれを究めるということは、半面、必ず苦しことがあるはずです。苦労があり、困難があり、でも、やりたいことだから止めるわけにいかないし、他にやりたいことなどありはしない。究めることには果てが無く、だから、これで満足ということが無い。いつも道の途上です。やりたいことがわかっているということは、本当はものすごく大変なことなのではないでしょうか。
だからおそらく、やりたいことをやっている人というのは、実は、いつもそれをやりたくないと思ってる。
妙な言い方になりますが、やりたいことというのは、自分が好きでやるのではなく、どうしてもそれをやりたい、苦しくてもそれしかないというのは、つまり、「憑かれている」ということではないでしょうか?自分を越えた何かに「憑かれている」から、どうしてもそれをやりたい。人は好きで何かに憑かれることは出来ません。「憑かれる」ということは、文字どおり受身です。自分のやりたいことを自分で探しても見つからない所以がここにあります。
自分にこだわりすぎて、「自分の」人生とか「自分の」好きとか、そんなものは何ものでもないと、一度腹を括ってみると、見えてくるものがあります。そうとしかできない自分も見えてきます。
「個性」というものは、本当はそういうもので、「自分」のために、を一度殺してしまわないと見えてこない。
自分のやりたいことをやるというのは、自分のためにやるのではありません。たとえば、自己精進に励む芸術家の仕事が、広く人々に喜びを与えることになるという事実だけでなく、一番身近な、家庭の主婦業もそうです。一目見て電撃的にビビッと来て、結婚までいくときも、紆余曲折あって、結局この人、に落ち着いても。出会いそのものが人の意図では、どうすることも出来無いご縁があります。その巡り合えた人と苦労を共にしようと自分で決めても、苦労は外からやってくるものだとは限らない。むしろ喜怒哀楽は長い一生の日々に随所、織り込まれています。その日常の中で、進級も昇格も無く365日家族を支えることは、時に息切れもある。完璧ということの無い際限なく、続く仕事です。時には家族が足枷と感じる時もあるでしょう。でも、家族が居るから乗り越えられる勇気も沸いて来る。そうやって人は支えられて生きていることを噛み締めます。自分のこと以上に家族が健やかであることを願って。
であるならば、勉強は自分の快適さの為にやるのではありません。
誰かの為に生きること、それが自分の為でもあるからこそ、力や知識が必要なのです。
ユニセフのパンフレットに「文盲の子達に学校を!」というコピーがありました。
文字を読めないから説明書や契約書の内容が理解出来ないで騙されてしまう被害が多発しているそうです。でも、この日本に於いてさえ文字は読めても詐欺、汚職は消えない。いえ、日本は資本主義の国です。資本主義に於いては安全より、利益です。電気、車、保険の神話しかりですよね。そして、氾濫する情報。
この中で何が正しいか。何をどう守れるか。自分は何を選ぶのか。を判断する知識が必要です。言われるままでは奴隷と同じ。たとえその時は従うしかない道でも、従うことを決めた自分に責任を持つ覚悟がいる。
大切な人を守る力がいる。チャンスを逃さない機敏さと知識がいる。
だから勉強が必要なのです。
このことをもっとも最重要視し、認識し、きちんと勉強して下さい。
やりたいことが見つからないから、やる気が出ない…。で、怠けていると考えるという習慣も身に付かず、目先の時流に流され、その場の自分ひとりの快、不快でしか動けない人になりかねません。
それは『幸せ』とも、『自由』とも言わないのですよ。それは、時の権力に洗脳された奴隷というのです。
今や、将来楽する為になどと悠長なことを言っている場合ではありません。
知識はアナタの身を守るために必須なのです。
「知らなかったほうが楽でいいじゃん。」と、もし少しでも思うならアナタは文盲の子達に文字が読めなくて、だまされ続けてたほうが楽なんだよ。と本気で言えますか?
しっかり、勉強して下さい。その為のモチベーションアップに、目標があるのは賛成です。
でも、やりたいことが見つからなくても、人の中で生き、必要とされる人間になりたいのなら、まずはがむしゃらに勉強し、考えるという習慣を身に付けること。思考するにも、まず言葉=知識ありき、です。
自分で考え、自分で選び、自由の責任を担え、大切な人を守れる強い人に成って欲しいから。
子供たちに勉強させるために、私はラピスを続けています。