☆5月は「ポイント還元月間」です☆

ラピス・ド・エコールでは平素よりポイント制を導入し、生徒が来塾した際や進級した際、誕生日などにポイントを進呈しています。また、生徒の学習意識向上のため、成績ポイントとして全県模試や定期テストの成績優秀者にもボーナスポイントが加算されます。(逆に授業態度が悪かったり成績が大幅ダウンしたりした場合はポイント減算です。気をつけましょうね!)

そして、貯まったポイントは500ポイント毎に様々なプレゼントと交換していただくことが出来ます。ポイント交換は年に2回行っており、今回は5月末日までの受付となります。プレゼントは、ポイント数に応じて右の表からお選びいただけますので、ポイント交換をご希望の方は是非ご連絡ください。

☆50,217円☆

これは何の金額でしょうか?

正解はこの1年間でラピスの募金箱に貯まったノート代です(端数があるのは誰かがこっそり募金してくれたのでしょう)。ラピスのノートは1冊100円なので、1年で500冊ものノートが使われた計算になります。この数字はそのまま、生徒達がどれだけ頑張って勉強してきたかを表しています。つまり、彼らの成長の証です。

今回集計したノート代は全額『国境なき医師団』へ寄付します。募金箱はいったん空っぽになってしまいますが、また1年後、今度はどれだけ大きな成長をこの小さな箱からすくい出すことができるのか、今からとても楽しみです。

今年の桜は一気に春を引き連れてきたかのように、其々の花が開花し、春爛漫になりました。新緑も美しく、春雨は木々の息吹く香りを運んでくれます。子供たちも新しい学年が楽しそう。みな、良いスタートを切ったように思えます。GWも終わり、これから部活も佳境に入ります。中間テストも間近、ココから日頃の時間配分が大切になります。

ところで、受験の目的は志望校に合格すること、というのはあたりまえのことですが、長期間の勉強をしていると、その目的を忘れてしまっている子がいます。

 例えば、塾や予備校で勉強していると、その塾や予備校でのノルマをこなすことが目標のようになったり、また定期テストの点をとることが目標になり、テストのために詰め込みで勉強してしまったり…。

定期テストは自分の今回の実力をキチンと受け止め、自分の弱点(苦手分野以上に自分の詰めの甘さ、計画のずさんさ、計画の不実行)を認め、何処をどう改善するか自分を謙虚に見つめ直せる節目です。

また、受験生ならば、志望校に合格する!という目的のための長期対策に軌道修正を取れる道しるべです。定期テスト毎に目標を定め、その目標が達成できたか、できなかったか、その原因は何かを見つめ、次に備えます。だから定期テストの為だけに勉強し、テストが終わると振り返らないのでは意味がありません。

では、「目標」と「目的」の違いは何でしょう?

ここに《3人のレンガ積みの話》があります。

中世ヨーロッパの、ある町の建築現場に、3人の男が働いていました。「何をしているのか?」と聞かれ、一人目は「レンガを積んでいる」と返事しました。2人目は「金を稼いでいるのさ」と。そして、3人目の男は「後世に残る町の大聖堂を造っているんだ!」と答えました。

3人は同じ作業をしています、つまり1日に何個のレンガを積むかとか。しかしそこに見出しているものは天と地ほど異なります。1人目は「目的」を持っていない。2人目は生活費を稼ぐのが「目的」。3番目は、歴史の一部に自分が関わり、世の役に立つことが「目的」となっています。

「目標」とは、簡単に言えば、「成すべき状態」のことです。たいてい量とか数字に表されます。だから、3人の男達の目標は同じです。でも「目的」はそれに「意味」が加わったものです。「目標」は他から与えられるけれど、「目的」は他から与えられない。なぜなら、「意味」は自分で見出すものだから。

「目標」のみに向かっている人は目標達成がゴールです。しかし、「目的」を持った人は現実の自分にいろいろなものを向けていきます。「今自分のやっていることは何のためなのか?」「遣り方は?」「修正は必要ないか?」etc…。そして、現実の自分に「エネルギー」を充填してくれます。人間は意味からエネルギーを沸かせる動物なのです。アウシュビッツの収容所を生き延びたオーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクは『意味を捜し求める人間が、意味の鉱脈を掘り当てるならば、その時人間は幸福になる。そして同時に苦悩に耐えうる力を持つものになる』と言っています。

目的に向かって進んでいる内に、道半ばで今迄見えなかった先の景色が見えてくるかもしれません。

そこで、目的の修正になるかもしれません。それは、それで良いのです。

でも、[目的無くとにかく定期テストで点を取りましょう。それから、何処に行くか決めましょう。]で、到達するほど、受験は甘くはありませんし、なにより「目標」をゴールにすることと、「目的」を持つことの差は大きすぎます。

さて、受験勉強の目的は志望校に合格することですが、勉強そのものの目的は、自分自身を向上させ、将来社会に役立つ人間になることです。志望校の合格はそのためのひとつの手段。合格したから偉いのでも、合格しなかったから駄目なのでもありません。また、周りの人々の助けがあってこその自分に気付かず、感謝の気持、謙虚さ無くして机上での勉強さえすれば良いのではありません。

私は、これからの社会が、新しい発明や発見によって今よりももっと便利で豊かで自然と共存できる生活になることを願います。また、多くの人の人間性が向上し、利己心や策略などが通用しなくなる社会を望みます。このような社会では、いい仕事の基準も変わるでしょう。自分の個性を生かし社会から喜ばれる仕事ほど、高収入で安定していて自由度の高い仕事になり得ます。

「これっぽっちしかパンが無い。」ではなく、ひとかけらずつでも沢山の人と分かち合うことを。

「自分さえよければ」ではなく、周り人々に、日本中の人々に、そして世界中の人々にゆきわたる様に、と一人はパン職人になり、一人は経済を学び、一人は化学者になり…。

そのような社会に対応する勉強は、自分の興味や関心や得意技を生かすと同時に、幅広い教科を身につける勉強です。 いい学校に入るとか、いい会社に入るとか、いい仕事に就くとか、という目標のために的を絞った勉強をする考えだと、目標を達成した時点で勉強も終わってしまいます。 しかしこれからは、自分の個性を生かすために、できるだけ幅広い勉強をし、また勉強に対する向上心も一生持ち続けていくことが必要になります。

一生の勉強、真の勉強とは偏差値を上げる勉強ではありません。

社会に出て必要になるのは、成績のよさよりも人間性 なのです。

勉強を受験競争における勝ち負けのようなものだと考えると、知的な能力だけを大事なものだと考えてしまいがちです。しかし、現実の社会の中で仕事に活躍できるのは、みんなから信頼される豊かな人間性を持った人たちです。 つまり、人間性という大きな枠の中に、勇気、知性、愛、創造性などという分野があり、知性という分野の中に、国語、数学、英語などという教科があるのです。

だから、家庭での教育では、知性の教育に多くの時間を割くとしても、重要度としては、勇気も、知性も、愛も、創造性もバランスよく育てていく必要があります。

一生懸命に勉強をしていると、つい点数のところにだけ目が向いてしまいます。

子供は特にそうです。

小学生の子によくあるのは、自分よりもできない子を馬鹿にするような態度をとってしまうことです。

子供の言動の中にそういうものが見えたら、それは人間性の教育を行ういいチャンスです。世の中には、いろいろな人がいて、みんなが自分の力の範囲で努力して助け合っているから社会が成り立っていることをじっくり話すと、子供はちゃんと理解しますし、少し大きくなってから家庭でテーマを決めたディスカッションは貴重な時間です。

豊かな情緒を育む為にも、時にはテレビを消してみては、いかがでしょうか?

今年の春は風が強くて、うららかな陽射しを感じると、ことのほか、心までほぐれて行くような気がします。

2011年度の受験生達もそれぞれの新しいスタートを切りました。

さあ、2012年度の受験が始まっています。新しいお友達も増えました。

みんな、春休みに一回り背も伸びたんじゃないかしら…?

この1年も丈夫な頭と賢い体を持って、スクスクと伸びてほしいです。

さて、新年度のシステム改定から、オプションや特訓で“国語”を受講する生徒が増えてきました。

国語力は、あらゆる学力の基礎であると言われています。

英語や数学は、たとえ苦手であったり、遅れていても、比較的短期間で取り戻すことができます。

しかし、国語力を取り戻すには、きわめて長い期間がかかります。

なぜなら、現在の日本では、国語力は小説の読み方のような教科と考えられている面がありますが、

実は思考力そのものなのです。 ですから国語の差がいったんつくと埋めがたい人間力の差になりかねません。

たとえば、国語的な仕事に就いている人だけが、国語力があるのではありません。国語力のある人は、様々な専門の仕事の分野でその国語力を生かして活躍しているのです。そして今、ことの他、国語力の大切さが見直されているのは、ネットを通じて国際的な繋がりがより可能になったからこそ、表現力や思考力の要である、国語力が重要視されているのではないでしょうか?また、ある大学の数学の教授は、「数学科には、国語力の

ある生徒が来て欲しい」と言われていました。

国語力の本質は考える力。あらゆる勉強の基礎になっている。といわれる所以がここにあります。

言い方を変えれば物事を構造的に見る力と言っていいでしょう。

哲学は、かつてギリシャで「知を愛する学問」と言われていました。ヨーロッパでは今も哲学は、学問の母と言われています。同じように、日本においては国語が、あらゆる学問の母になっています。


国語の中で読解力は、多様なものをできるだけ早く理解し読み取るために。

記述力は、様々に異なるものの関連性を見つけそれらを創造的に結びつけるために必要です。

ですから、 国語の力をつけるためには、書く勉強としての記述の勉強が欠かせません。

子供たちの国語力を本当につけるためには、選択式の問題を解くだけでなく、

もっと自分の考えを“ことば”にして文章を書く時間を増やしていくことから始め、

表現力を培う必要があるのです。

 
しかし、言語による認識の構造化が「国語力=思考力」だとすると、まずものごとを“考える”為には、

語彙力が必要です。人は“ことば”無くして、ものごとを考えることは出来ません。

また、十代の時期は意識して猛烈に語彙数を増やす時期です。

自分だけが通じる“ことば”での思考は妄想です。そうではなく、自分以外の人と通じ合うためには、相手の“ことば”を理解する思考力が必要です。自分が理解出来ることばに噛み砕いて貰うのでは無く、自分が大人の社会の語彙、常識、情緒を吸収する時期が十代です。

受験もしかり。相手に(志望校に)受け入れてもらいたい。とおもうなら、自分よがりな思考、思い込みではなく、相手が何を求めているのかを正しく理解し、相手に応えられるだけの力=“国語力”(思考力)

鍛えておかなければ、受け入れて貰えません。。

そこで、ラピスでは国語力を高めるために、次のようなことをおこなっています。

①語彙数の強化(ことわざ、熟語、漢字を含みます)

②文章を沢山、読ませます。(1年間で4~500章)そして、文章を速く読むことにも慣れさせます。

③自分の好きな本を沢山読むことも大切です。(ラピス文庫からも貸し出します)

④聞く耳を育て、自分の考えを筋道をたて伝えることが出来るように、

関心のあるテーマについて家族や友達とも対話することを薦めています。

⑤優れた内容の文章を音読させたり暗唱したりして、音の心地よさや、

聞き取れるのではなく自分が理解出来る音読の速さやリズムを体感して貰っています。

⑥構成を意識した記述を書かせています。(最初はテーマに沿って1,2行から)


ラピスの国語のテキストは、十代のうちに、せめてこれだけの“ことば”は(思考力)は身に付けて欲しい。

と今年から全て私が構成しました。無学年生になっていますので、何年生からでも受講可能です。

国語こそ、おざなりに出来ない。と危惧される方は、是非受講下さい。

2012年春、国語から理解は深まります。