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◎本居宣長の「かみ」の定義


本居宣長は、「かみ(神)」について、『古事記伝』三之巻の中で次のように説いています。

(筑摩書房版『本居宣長全集』第9巻、125~6頁)


さて凡て迦微(カミ)とは、

古御典等(イニシヘノフミドモ)に見えたる天地の諸(モロモロ)の神たちを始めて、
其(ソ)を祀(マツ)れる社に坐(ス)御(ミ)霊(タマ)をも申し、
又人はさらにも云(ハ)ず、
鳥(トリ)獣(ケモノ)木草のたぐひ海山など、


其余何(ソノホカナニ)にまれ、尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて、可畏(カシコ)き物を迦微(カミ)とは云なり、


この定義は、今日においても広く認められています。『広辞苑』の「かみ」の意味の記述も、この説を踏まえているようです。


かみ【神】『広辞苑』

人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。人知を以てはかることの できぬ能力を持ち、人類に禍福を降すと考えられる威霊。人間が畏怖 し、また信仰の対象とするもの。
②日本の神話に登場する人格神。
③最高の支配者。天皇。
④神社などに奉祀される霊。
⑤人間に危害を及ぼし、怖れられているもの。
 イ、雷。なるかみ。
 ロ、虎・狼・蛇など。
⑥キリスト教で、宇宙を創造して支配する、全知全能の絶対者。上帝。


上記の『古事記伝』の英訳を紹介します。それは世界最大の宗教に関する百科辞典の「神道」の「神観念」の項目に見えます。


Mircea Eliade editor in chief, The Encyclipedia of Religion (New York 1987)


 Concepts of deity. In ancient Japanese the word kami was use dadjectivally to mean something mysterious, supernatural, or sacred. In the classic definition of Motoori Norinaga (1730-1801),

kami means "anything whatsoever that is outside the ordinary,that possesses superior power or that is awe-inspiring." In other words, a kami is a being that is capable of inspiring awe in humankind and is mysterious and supernatural. The simple objects of the folk cult, as well as the deities of the imperial house and those revered by the great clans,are all considered kami.



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『古事記伝』再校本(『本居宣長全集』より)

◎新嘗祭の御製・御歌


★明治36年・明治天皇御製:をりにふれたる
  豊年の新嘗祭ことなくて

   つかふる今日ぞうれしかり


★大正天皇御製(これは新嘗祭のことではありませんが)

  かみまつるわが白妙のそでの上に

   かつうすれゆくみあかしのかげ


★昭和32年・新年御歌会始・御題「ともしび」・皇太子殿下御歌
  ともしびの静かにもゆる神嘉殿

   琴はじきうたふ声ひくく響く


★昭和50年・新年御歌会始・御題「祭」・皇太子殿下御歌
  神あそびの歌流るるなか告文の

   御声聞え来新嘗の夜


★平成2年・天皇陛下御製

  父君のにひなめまつりしのびつつ

   我がおほにへのまつりおこなふ


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◎元服の時の作法論議


『中右記』大治四年(1129)正月一日条に、


今日天皇元服、〈御年十一〉

…裏書云今日摂政殿御作法之間、

或左廻、或右廻、此事依不審、

後日密々尋申之処、

被仰云、被尋之旨尤有興、

但直退下之時ハ右廻也、

帰参簀子之時左廻也、

又為受酒盞就机下之時、

可有揖由存之処、度々日記件揖不見侍、仍不揖也、

猶可揖覚と侍、如何、

〈此仰允有興、只可依旧記由所申也、〉


と方向変換の方向や揖の有無について議論しています。

まさに、昔の「祭式研究会」ですね。


なお、皇學館大学でも「元服式」を執り行います。


◆小笠原流元服式(11月17日)のご案内◆

昨年度より現代日本社会学部授業「文化継承実習『礼法』」をご担当いただいております弓馬術礼法小笠原流宗家三十一世の小笠原清忠先生(本学特別招聘教授)のご指導により、今年も授業の一環として、成人式を迎える2年生への「元服式」を執り行っていただきます。

 本来、元服式は十一~十五歳頃までであったとのこと。二十歳を迎える現代日本社会学部学生たちにとって、これからの日本の将来を支えてゆくべき新たな覚悟と誓約の機会となることを祈っております。
 皆様にも、この機会に御覧いただくことができましたならと存じ、ご案内申し上げます。


              記

日時:平成24年 11月17日(土)10:45~11:45
場所:皇學館大学 祭式教室
授業:文化継承実習(礼法)Ⅱ・Ⅳ 現代日本社会学部2年生7名(3年生13名は給仕諸役を勤めます)
指導:小笠原清忠 先生(弓馬術礼法小笠原教場・小笠原流礼法 三十一世)(本学特別招聘教授)
ご奉仕:小笠原礼法社中の皆様
ご協力:木村徳宏 先生 (神道学科・助教)
烏帽子親(えぼしおや・理事長)の代行 :新田 均 教授(学科主任)
公開:学生・教職員・一般(予約不要・無料・式典にふさわしい服装(スーツ・和服等)のご着用を)
                              以上
                             
元服式とは:
 元服とは、男子が頭に冠を加えることをいいます。「元」は頭首を、「服」は冠を指し、男子が生まれると、幼児に在っては常に頂を露わしており、頭首にはなにも戴きません。これを童子若くは、「わらは」といい、大きくなって冠を戴かない者を大童といって成人と見なさなかったのです。初めて冠を着けるのを元服といい、『伊勢物語』には「昔男ありけり、ういこうぶりして、奈良の京、春日の里に・・」とあり、『源平盛衰記』には「嘉応三年正月三日、主上(高倉)御元服有テ、(中略)初冠ノ御姿最ト厳ク、・・」とあるように「ういこうぶり」とも称しました。其式を指して「冠礼」、其事を指して「男になる」ともいいました。男とは童子の域を脱し成人の男子たることをいい、元服とは成人を表すための礼であるといわれます。我が国において最初に書冊に見えるのは『聖徳太子伝暦』に「崇峻天皇三年(中略)時年十九、冬十一月聖徳太子冠・・」とあり、『続日本紀元明六』には「和銅7年六月皇太子聖武加元服」とあるのが始まりであるとされています。(前回のご解説資料より)

*以上、皇學館大学HPより