◎月次祭(つきなみのまつり)
旧暦の六月と十二月の十一日に、朝廷のおまつりをつかさどる神祇官(じんぎかん)に大臣以下の役人を集め、国家の安泰と天皇の御代の長久を祈る月次祭(つきなみのまつり・つきなみさい)が行われていました。神祇官では、全国の主要な神社に対して朝廷から幣帛(へいはく)がささげられました。神宮へは特に使者が派遣され幣帛を献げられました。また、月次祭の夜には、天皇自ら天照大神(あまてらすおおみかみ)をお招きし、共に食事を行う神今食(じんごんじき・かむいまけ)をおこないました。もともとは月ごとに行われるべきものだったので、「月次」とよぶといわれています。神宮における年二度の月次祭は、神嘗祭(かんなめさい)とともに三節祭(さんせつさい)とよばれ、特に重視されました。その起源は非常に古く、文武天皇の大宝二年(七〇二)以前にさかのぼります。しかし、鎌倉時代以降神宮以外の幣帛奉納は廃絶し、神宮への戦国時代の動乱により廃絶しました。その後、明治五年(一八七二)に再興されましたが、使者の派遣や、神今食は行われていません。現在も、神宮では六月と十二月に行われています。
【参考文献】
次田潤『祝詞新講』(明治書院、昭和二年)
「月次祭」(宮地直一・佐伯有義監修『神道大辞典』平凡社、昭和十二年)
並木和子「月次祭」(國學院大學日本文化研究所編『神道事典』弘文堂、平成六年)
真弓常忠「月次祭」(『神道要語集祭祀篇三』神道文化会、昭和六十二年)
*毎月の「月次祭」とは異なります。