神宮皇學館大學戦歿学徒顕彰碑除幕式並びに慰霊祭(平成十八年二月十一日) | laphroaig-10さんのブログ

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神宮皇學館の六角堂(或は曰く八角堂)の石段の上に「戦没学徒(実は『学生』と刻まれり)顕彰碑」建てり。紀元節の神宮参拝後
、除幕式並びに慰霊祭を斎行せり、狭き祭場ゆゑ、玉串案は、神饌案の下に仮に置くこととはなりぬ。


 


神宮皇學館大學戦歿学徒顕彰碑除幕式並びに慰霊祭




常世の浪の重浪帰する伊勢の国倉田山に遺されし旧六角講堂の跡に造り立てたる戦没学生顕彰碑の広前を、厳の磐境と祓へ清めて神籬刺立て招奉り坐奉る、言はまくも畏き合原幸生命を始めて二十二柱の命の御霊等の御前に、斎主皇學館大学助教授本澤雅史慎み敬ひて白さく、




明治十五年、皇大御国の道を説き究めむと神宮皇學館の設けられしより以来、学徒等は惟神の大道を受継がひ、皇学の業を振ひ興しつつあるが中に、大東亜の戦由々しくなりし昭和十八年、文科系学徒の徴兵猶予停止の法令に依りて、神宮皇學館大學にありても、百五十一名の学徒等、大命の随に取る筆を擲ち激しき戦場に出立ち給ひしも、阿波礼汝命等はや、海行ば水漬く屍、山行かば草生す屍と、皇国の為に明き清き誠の心を極め尽して雄々しくも若桜花と散り給ひぬるは甚も痛ましき極にぞありける。




汝命等が樹て給ひし功績は靖國の宮柱と国民斉しく永久に仰奉り称へ奉り、奇しくも現身の生命有て還り来りし戦友等、往時の事共今も尚忘れ難く偲奉りて在る程に、畏くも昭和天皇の大詔以て大御戦の矛を収めてより六十年の春秋を数ふることとはなりぬ。




故殊に其の芳しき御名、清き御心を永き世に伝へ奉り顕彰め奉らむと、流政之い焼鎌の厳の鋭心振ひ起こして、縁も深き此の処に顕彰碑を築き立て、八十日日はあれども紀元節の今日を御祭の日と選定め、学校法人皇學館理事長上杉千郷い主祭者として、御前に御饌御酒種々の御饗つ物を献奉り、御霊慰めの歌舞をも奏奉り、汝命等の家族親族を始め関係ふ諸人等、又汝命等と同じ齢の学生等御前も狭らに参集侍りて、太玉串の執々に懇ろに拝奉る状を御心も平穏に聞食し享け給ひて、




今ゆ往先、厳の御霊は天翔り国翔りて、生命を捧げて守給ひし皇大御国をば天地の極浪風立たぬ浦安の国と守り導き給ひ、親族家族等は申すも更なり、此の学舎の諸人等の上をも夜の守日の守に守恵み幸へ給ひ、汝命等の遺し給へる尊き御精神を受継ぎて世の為皇国の為に尽くさしめ給へと慎み敬ひて白す(平成十八年二月十一日奏)