おはようございます
セラピストのよしだあきこです
先日からこちらの講座 をスカイツリーのふもとで
再受講していますが
何度受講しても、やっぱりココロに響きます
昨日は「承認」という講座内容でした。
これ、すっごくシンプルなんだけど
生活に密着しているはずなんだけど
気がつくと、ぽっかり抜け落ちている部分だなといつも感じます。
人は誰もが「存在をただただ認めてほしいもの」
そのやり方が色々な方法で現れているだけで
メッセージはひとつ。
「私(ぼく)を見て」
カラーセラピーで言うところのイエローです。
私自身それに気づくまでに、何年かかったかなぁ~(苦笑)
今では子供たちのイエローサインを見逃さないことが増えたかな
昨日もこんなことがありました。
夕方用事があり、車で自宅まで向かう途中での車内での姉妹の会話。
私は運転中でもあり、会話には一切入っていませんでしたが
さすがに長女が次女に対して言いがかり的な要素たっぷりに
厳しい言葉で攻め始めたので、一言言いました。
「随分と言い方がきついようだけど、何か他に伝えたいことがあるの
それとも妹が憎くて憎くて仕方ないの」
長女はうぅっと言った感じで、小さい声で答えました。
「昨日私が作った泥団子を壊したから、憎くはないけど、怒ってる」と。
てか、それ今の会話に関係なくね?
でも、ここがポイントなんです
前あった出来事で気持ちの清算ができていないから
全く会話と無関係なことでも言い方がきつくなる。
感情の成仏ができていないってやつですね
でもこういうことって自分でもありますよね
旦那さんに言いたいことがあるけど
別の形で八つ当たりしちゃったり・・とか。(私だけ?)
で、私はママイキすぐ使いますよ。
「あのね、その怒っている気持ちはわかるよ。
でもね、それを別の形で相手に投げても、受け取る方は全くわからないし
お姉ちゃん、怖いなっていうメッセージしか相手に伝わらないよ。
怒っている内容を具体的に伝えたほうが、いいと思うよ。」
長女はいつもなら泣くところをぐっとこらえて
話を聞いていました。
「しかも言葉を上手に使えるんだから、気持ちを言葉にだして
伝えていいんだよ。」
(長女の会話力はかなり高いと思っています)
そう言うと長女はすかさず
「お母さんみたいに上手に使えるもんね、あたし」
って。自慢かよ(てか私みたいにって・・・照れるね
)
その後は一件落着して、帰宅しました。
でも私としてはまだ終わっていません。
次女にも言いました。
「壊した泥団子は今度お母さんと一緒に作ろうね」
次女は複雑な表情をしていましたが
「うん」と小さく頷きました。
こうやって生活のひとコマの積み重ねが
大事なんですよね
感情はぶつけるものではなくて
伝えるもの
常に意識していきたい部分です