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先日数少ない保育園の親子行事に参加してきました
午前中は親子でクッキング
春巻きをつくりました
春巻きの皮に、ハムといんげんとにんじんを置いて
ポテトサラダも混ぜ込んでくるくるくる
なかなか上手な次女の手つき。
家でも餃子とか一緒に作るのもあって、うまかったのかなと
思ったら・・・折り紙で事前に練習をしたとか。
(先生、ありがとうございます)
と書くとごく普通の親子クッキングを思い浮かべると思いますが
クッキングにたどり着くまで、少々山あり谷ありでした。
というのも、以前も書きました が・・・
次女はとっても恥ずかしがりや
今回も私の顔を見た瞬間に・・・
胸がいっぱい
嬉しさいっぱい
恥ずかしさいっぱい
涙もいっぱい
といった気持ちがいっぺんに吹き出し、泣き出しました
ま、そうくるとは予想していたので
冷静に対応する私。
他のママ達から「○○ちゃん、どうしたのぉ」と
聞かれまくりましたが、理由はわかっているので、笑顔でごまかす
そしてクッキングに入るときは涙もとまり、作業をこなしました。→ここ成長です。
続いて、親子ゲームをするというので場所移動
新聞紙を細長くしたものをしっぽと見立てて遊ぶ、しっぽ取りゲームと
じゃんけんで負けた人が勝った人の後ろにくっついて歩く、じゃんけん列車
の2つを先生の誘導の元に行いました。
いや、最初は行えなかった・・・・次女
しっぽ取りゲームでは、園児が整列している場所にもいけず
私にひっついていました。
他の園児達は次女以外全員整列しています。
さて、こんなとき、あなたならどう感じますか
なんでうちの子はだめな子なんだろう・・・
他の子は皆整列しているのに、うちの子だけ恥ずかしいなぁ・・・
他の保護者の人もいて、体裁が悪いなぁ・・・
どれも正解で正解じゃない感じ(笑)
(いや正解ってないとは思うけど、あくまで私の考えっていうことで)
もちろん、私だって同じようなことを感じることがあります。
でも、目の前にいる子供が何を思ってそこにいるのかを
感じてあげることはやっぱり大事なことだと思います。
親がいないときは、頑張って園内でしっかり過ごしている次女なので
私の登場でその張り詰めた想いが、ちょこっと折れてしまったのが
手に取るようにわかりました。
なので、次女が気の済むまで泣かせて、そばにいました。
でもずっとという訳にはいかないので、本人には
「そこにいたくないのか」
「ゲームに参加する意思はあるが、今はできないのか」
の確認も忘れずにしましたよ
気持ちに折り合いをつけるということは、本当に大人でも難しい。
まして5歳なら、尚更です。
でもそうやって人は学んでいくことができる。
次女は少ししたらゲームに参加する意思をみせ
まぁ、すべてとはいかないけれど、その場にいることを選んだ自分の言葉に
責任をもっていたかな~。
しかも、私、しっぽ取りもじゃんけん列車も・・・
保護者の中でトップとなってしまいまして
もう少しで優秀しそうな自分にハラハラしていました(笑)
(いちお主役は園児だしね・・・)→気の使いすぎだと感じつつそう思ってしまう。
ゲームの後は親子で給食を食べて
午前の部は終了。作った春巻きが給食に登場して
子供たちも大喜びでしたよ
今回の出来事では、子供の成長しかり
自分の成長もちゃっかり感じることができて
嬉しかったです。
以前だったら、自分の体裁が悪いから無理やり参加させようという想いが
一番に浮かんだと思うから・・・。
子育てに本当に必要なことを改めて再認識した時間でした。
子供をまるごと受け止めるってやっぱりすぐはできません。
できなくて当たり前から始めればいいと思うしね。
でも、少しずつ少しずつ母親となっていくように、親子となっていけばいいんだと思います。
そして、それは一人ではできないこと。
子どもがいて自分がいる。周りの協力も不可欠
周りを巻き込む力もママには必要なんですよね