今日はニャン太の大好きなハウス系DJのベスト5を発表しや~す!
あまりにも好きなDJがい過ぎて、非常に難しい選択ではありやしたが、その中でも絶対はずせない、DJsだよ~!
5位: Satoshi Tomiie
東京からNYへ渡り、80年代後半から90年代にかけてDEF Mix Productionの一員として音楽制作を中心にハウスミュージックの礎を作った、日本が世界に誇るクラブ・ミュージック界のトップ・アーティスト。89年にFrankie Knucklesとの共作の元リリースした"Tears"で一躍世界的な規模での注目を集め、その後もマライヤ・キャリー、マイケル・ジャクソン、U2など、真の意味でのスーパースターたちの作品を手がける。世界的に知られる英「DJ」誌による人気DJランキング“TOP 100 DJs”に初登場で30位を記録するなど、日本人DJ として前代未聞の金字塔を数々打ち立てる。
4位: Frankie Knuckles
1980年代中期、シカゴのアンダーグラウンド・ナイトクラブ"ウエアハウス"から、シカゴ発の新しいダンスミュージック・ジャンル"ハウス・ミュージック"を世に送りだし、熱狂的なファンからは「The Godfather of House」と名付けられ、ハウスの創世で中心的な役割を果たしてきた。
1987年末、活動拠点をシカゴよりNYに移し、1988年、DEF MIX PRODUCTIONSに参入。以後、The World、Choice、Roxy等その時代のNYを代表するダンスクラブで活躍。リミックスワークの一部としてはDiana Ross、Luther Vandross、Michael Bolton、Mary J. Blige、Sound of Blackness、Michael Jackson、Janet Jacksonら著名人の名前が挙げられる。なかでもToni Braxtonの「Unbreak My Heart」は100万枚以上のヒットを飛ばした。1997年、音楽界で最も権威と名誉あるグラミー賞に新設された「Remixer of the Year」の記念すべき初受賞者となった。
3位: Sasha
SASHA こと Alexander Coe はモータウン・ミュージックに影響を受けながら、イギリスのノース・ウェールズで育つ。Joy Division(後の New Order)や Happy Mondays を輩出した伝説のクラブ「HACIENDA」との衝撃的な出会いを受け、アシッド・ハウス全盛期の'88年にマンチェスターに移住。'91年にはDJとして初めて MIXMAG 誌の表紙を飾り、一躍スターの座へと躍り出た Sasha は、'94年には盟友 John Digweed と共にレーベル"Renaissance "からイギリスのDJとしては初となるミックスCDをリリース。その後も2人はミックス・アルバム・シリーズ"Northern Exposure"をリリースし、その後同名のツアーを行うことで、トップDJとしての評価をより確かなものにしていく。また、'97年からは John と共に、今やハウス/クラブ・シーンの伝説として知られるNYの"Twilo"のレジデントDJに就任。同クラブを世界中のクラブ・シーンの中心地として世に知らしめると同時に、全米初のスタジアム・DJツアーを行うなど、DJとして誰もがなしえなかった偉業を達成した。
2位:John Digweed
イギリスから世界へ一大旋風を巻き起こし、現在もその形を発展させながら人気を保つ「プログレッシヴ・ハウス」。この'90年代が生み出した巨大なクラブ・ミュージックのうねりは、John Digweed という稀代のカリスマ・アーティストの人気に比例するように成長してきたと言っても過言ではないだろう。10代でアシッドハウスの洗礼を受けた John は、90年代の初めにイギリスのヘイスティングで小さなパーティーを開始、これが後に世界を大きな嵐のように席巻することになる Bedrock 伝説の始まりであった。制作面でのパートナー Nick Muir とのユニット Bedrock 名義で Dave Seaman 率いる Stress Records から"For What You Dream Of"をリリース。クラブ・シーンで大ヒットを記録したこの曲がきっかけで、John Digweed と Bedrock の名前は一躍シーンから注目される存在となる。'96年には前述の"For What..."が映画「トレイン・スポッティング」の挿入曲として使用されるなど、その知名度をお茶の間レベルまで広げた John は Sasha と共に、当時 Junior Vasquez が教祖として君臨していたニューヨークの巨大クラブ「トワイロ」へと乗り込み、伝説的とも言われるレジデント・パーティーを始動。その後の全米ツアーを経て、ハード・ハウス一色であったそれまでのクラブ・ミュージックの世界地図を完璧に塗り替えてしまう。
1位:Danny Tenaglia
間違いなく生存するDJの中で最も影響力のあるDJであり、「DJのためのDJ」と呼ばれる重鎮。今現在世界のトップを走り続けるJohn DigweedやDeep Dishなども、90年代後半、自身のトラックをDannyに渡し、プレイしてもらえることに喜びを感じていたほどである。そして、毎年マイアミにて開催されるダンス・ミュージック・フェスティバルでのロング・セットは伝説と化し、ダンス・ミュージック業界人のみならず、現場で活躍するDJ達までもが、至福の笑みを浮かべながら彼の届けるサウンドに身体を任せる特別な空間となる。Dannyは、NY、ブルックリン生まれ。12歳にてDJを始める。伝説的なパーティーであったParadise Garage に通いつめ、Larry Levanの作り出す音世界に多大な影響を受け、80年代後半には、音楽制作をスタート。ヒット曲 "Elements"、 "Music Is The Answer" などを初めとするオリジナル・トラック、そしてMadonna、Michael Jackson、Janet Jackson、Pet Shop Boys、Depeche Modeなどの著名アーティストのリミックスを手がけ、現在では総曲数200曲を超える。もちろんDJとしてもTwilo、The Tunnel、Vinyl などのNYのトップ・クラブにて、計8年間レジデントDJとして活躍。NYの耳の肥えたクラウド達を、ほぼ毎週のように10数時間におよぶロング・セットとともに楽しませてきた、真のエンターテイナーである。「ガラージを継承し、プログレッシブ・サウンドと融合した」、「トライバルの王様」など、彼のサウンドを説明するキーワードが数多く存在する。
。。。と、まあ、今回は長~くなってしまいやしたが、DJ豆知識としてお役立てくださいな。そしてこの素晴らしいDJsがプレイするイベント情報はもちろんLAPARTY.jpでGetしてね!