~2023年1月13日(水) in 伊勢 ~
別邸をチェックアウトした後は
昨年同様シャトルバスで鳥羽駅へ。
今回は久しぶりに外宮へ行ってみました。
…ってことで鳥羽駅から近鉄特急で伊勢市駅へ。
公共交通機関を使って外宮へ行くのは初めてです。
もともと外宮へ行くのはは3回目かな。
伊勢市駅
参道を通って外宮へ。
交差点を渡ると…外宮です。
衛士見張所
火除橋
手水舎
両手を清めて…進みます。
一の鳥居
二の鳥居
森の木漏れ日が…神秘的
外宮の正宮である豊受大神宮。
お米をはじめ衣食住やエネルギーの恵みを
与えてくださる食と産業の守護神です。
豊受大神宮の由来は、
「※止由気宮儀式帳」によると…
※豊受大神宮に関する祭儀・
由来や職員の分掌などに
ついて記した書。
今から約千五百年前、雄略天皇の御代に、
天照大御神が天皇の夢に現れて
お告げをされたことによります。
そのお告げは、
「一所のみ坐せば甚苦し」「大御饌も安く
聞食さず坐すが故に、丹波国の比治の真名井に坐す
我が御饌都神、等由気大神を、我許もが」
意味は…
「一か所にいると息苦しい」
「食事もままならない状態なので丹波の国の
※比治の真名井にいる我が御饌都神の等由気大神を
近くに呼んでほしい。…ってことでしょうか。
※比治の真名井とは所説ありますが…
現在の京丹波の峰山辺りではないかと
言われているようです。
それで夢から覚めた雄略天皇は
等由気大神を丹波国から
お呼びになり、度会の山田原
(現在の伊勢の宇治山田辺り)に
立派な宮殿を建て、祭祀を始められました。
豊受大神宮をお迎えして以来約1500年、
欠かさず行われている神事があります。
それは日別朝夕大御饌祭。
毎日朝夕二度、神様の台所である忌火屋殿で調えた
※神饌を外宮御垣内ある御饌殿に運び、
天照大神をはじめ、豊受大神など6座の神様に奉り
「国安かれ、民安かれ」との祈りと
感謝を捧げる儀式です。
神様のお食事は、お米を中心に塩、水、酒、鰹節、
そして季節の海の幸や野菜、果物が並ぶそうです。
※神饌とはお食事のこと。
古殿地
平成25年までの20年間、正宮が鎮座していた場所。
ここ再び正宮が鎮座するのは2033年。
見られるかしら
古殿地にあった杉の大木。
何やら…ただならぬ雰囲気です。
絶対…何かが宿ってるー。って私は思います。
豊受大神宮を参拝した後は別宮へ。
まずは…土宮
大土乃御祖神を祀っています。
この大土乃御祖神は古くより、
この地を守護してきた土地神様であり、
土の神様です。
古来より伊勢の地は田んぼが多く、
農耕が盛んな地域だったそうです。
その頃からこの神様は「土地の守り神」として、
現在の土宮の地で「土御祖社」という名前の
お社でお祀りされていました。
「土宮」の社殿の前の広場は、式年遷宮の時には
「御船代祭」の祭場になるそうです。
二つ目の別宮は風宮
ご祭神は、伊弉諾尊の御子神。
風雨を司る級長津彦命、級長戸辺命で、
内宮別宮の風日祈宮のご祭神と同じです。
風宮は、古来風社と称しておりました。
しかし、「止由気宮儀式帳」、『延喜神名式』には
記載がなく、長徳3年の『長徳検録』に初めて
「風社在高宮道棒本」と記されていることから、
多賀宮へ続く参道沿い、杉の木の本にある
小さなお社であったと考えられます。
3つ目の別宮は多賀宮たかのみや
ご祭神は、豊受大御神荒御魂。
外宮に所属する四別宮のうち、第一に位しています。
殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、
正宮に次ぐ大きさなんだそうです。
…が…
多賀宮の場所は土宮と風宮の間の石段を登った上。
石段は…なんと98段。
今の私には絶対無理。
…ってことで断念いたしました。
一緒に行ったお友達には「待ってるから行って来て」と
申しましたが…
私に気を使ってか否かはわかりませんが
「大丈夫いかない」っていうお言葉をいただいて…
内宮へ向かうことに。
なにやら新しい建物を作っていました。
やっぱ神社の建築に携わるには作業着も白なんですね。
ヘルメットも、コーンも白。
初めてみたからちょっとびっくり。
次は内宮へ向かいます。🚌ぶぅ~ん。