~2020年11月25日 (水) in 京都くもり ~

 

京都で観梅「渉成園」①のつづきです。

 

縮遠亭(しゅくえんてい)十三景の七      1884(明治17)年頃再建       
印月池に浮かぶ北大島に建てられた茶室。

 

 

縮遠亭はその名の通り、かつては上段の間から東山36峰のひとつである

「阿弥陀が峰」の遠景が縮図のように見渡せたと言われていますが、

江戸時代後期には樹木が生い茂って見えなくなっていたそうです。

板の間の向こうに紫藤岸が見えていました。

 

 

塩釜の手水鉢                      

手水鉢の一形式として全国の庭園にある

「塩釜の手水鉢」の手本(=オリジナル)

となるものです。

渉成園の景物として重要なものなんだそうです。

 

 

印月池    十三景の三                 

 

 

源融(みなもととおる)ゆかりの塔

源融(みなもと の とおる)は、

嵯峨天皇の第十二皇子でしたが

源の姓を天皇から賜り臣籍に下りました。

源融は『源氏物語』の主人公・光源氏の

モデルといわれている人。

 

 

源融の供養塔とされる九重の石塔です。

塔身には四方仏が彫られ、基礎の格狭間(こうざま)と呼ばれる部分には

蓮華が彫刻されています。

 

 

侵雪橋(しんせつきょう)十三景の六  

侵雪橋は、印月池に浮かぶ縮遠亭のある島へ渡る木造の反橋です。

渉成園のほぼ中央に位置し、全体を一望できるようになってます。


 

池の北西側から橋全景を眺めた景色

 

 

池の北西側から「縮遠亭」を見た景色です。

 

 

五松塢(ごしょうう)十三景の五      

侵雪橋を北大島に渡ったところの北側辺りを五松塢というそうです。

本来は五株の松あるいは一幹五枝の松が植えられていたことから

名づけられたそうです。
「塢」とは、小さな土手を意味します。

この五松塢がある北大島と南大島は、その位置と高さ、古図面に見られる

高瀬川の旧流路などから、豊臣秀吉が築かせた御土居の跡と言われています。

 


 

京都タワー

下の写真左下にあるのは「漱沈居」

 

 

傍花閣の近くには、まるでオブジェのような枯れた巨木2本ありました。

この巨木はイブキ(ビャクシン)です。

イブキは成長の遅いヒノキ科の針葉樹で、この巨木の樹齢は不詳ですが、

幹周は大きい方で4.8mもあり、推定樹齢数、百年以上と言われてるそうです。

 

 

     

臥龍堂(がりゅどう) 十三景の四      

現在は卯月池に浮かぶ南大島の事を称していますが、元来はこの島に建てられていた

鐘楼堂の指していました。

安政の大火による焼失以来再建されておらず、現在は礎石を残すのみ。

残念ながら私たちが行った時は、印月池西側の水が抜かれ工事中だったのが、

ちょっと残念でした。

 

 

印月池西側に工事用のフェンスがあり、そこにいろんな説明文がついていて

ちょっと物知りになれました。ニコニコ

 

 

閬風亭(ろうふうてい)             1865 (慶応1)年頃再建  

1880(明治13)年に、明治天皇がご休息されたところです。

園内で最大の書院造の建物です。

室内は通常の書院造りの間取りとは若干異なり、

畳を外せば能が演じられるようになっていたそうです。

迎賓館の役割を担っていたそうで、坂本龍馬が、永井主水司尚志と

会談した場所だとか。

そんな歴史ある「閬風亭」ですが、現在はなんと披露宴会場として

利用されているみたいで、ちょっとビックリ&ガッカリ。

 

    

廬庵 (ろあん)                        1957(昭和32)年再建

園林堂に並ぶ二階建ての茶室です。(写真左)

 

 

廬庵前庭の露地

 

 

 

 

明治天皇御小休所

この石標は明治天皇が休憩した枳殻邸を示すもの。

 

 

大玄関(おおげんかん)                 1884(明治17)年頃移築

1880(明治13年)、明治天皇が渉成園でお休みになった際、東本願寺の境内に残る宮御殿と共に、大宮御所から移築を約され、後に移された玄関です。

大きな車寄せに内玄関があり、中には八畳が二間あるとか。

 

 

「渉成園」での紅葉狩り…

新幹線で来る予定だった友達との待ち合わせに選んだ場所だったけど

思いのほか良いところでした。

京都駅から徒歩約10分で、こんないい庭園があったなんて。

やっぱ京都ですね~。

次回は4人揃って「梅」や「桜」を見に行きたいです。ニコニコ音譜