Teleの「包帯」を聞いて、感情が爆発してしまったので、大好きの壁打ちがてらブログを書こうと思う。語彙力低めでつたない考察を。
まだ聞いてない方は、このリンクからぜひ。 Tele.lnk.to/hotai
まず、初見の感想は、いつもの通り「大好き」
メロディーとかテンポから好きになる僕にとって、軽快でポップなメロディーは、中毒性がMAXだった。
絶対にライブ映えするなって思う、この音楽は絶対身体全体で浴びたいし、勝手に揺れ動くこと間違いなしだと思う。
とくにTeleのラスサビの疾走感が好きなので、「馬鹿げている世界を」以降で、前後左右に体を動かして曲を楽しんだ。
思い出した描写は、下り坂、左カーブに立つガードレール越しに見えるのは、生まれ育った街。海に映える太陽は、西の空に傾いている。あの時ブレーキを握らず駆け抜けた道を、今はゆっくり左にハンドルを切って進んでいる。みたいな感じ。
で、歌詞にも大好きな部分がたくさんあるので、書いていく。割愛した歌詞もたくさんあるけど、特にすきなやつを。
「トースターの底。たまっていた思い出を愛し損ねている。」
パンに喩えられている愛する「君」について知らない愛すべき部分がある。この曲は、「愛する」ではなく「愛していた」という方が正しくなってしまった主人公の心の描写が続く曲だなと思う。最後の「未来は、生き延びた灰のたまり場じゃないんだ。」というフレーズは、トースターの底の思い出を汚い言葉で書き顔して否定する表現だ。やるせないことがあって、もがき苦しんで、最後は未来に向けてポジティブになるという、主人公の感情変化の描写が大好き。
「忌諱からくる庇護し合いは外来の花が育つようで」
忌諱とは、畏れて嫌うこと。多くは忌諱に触れるといって、他人の嫌がることを言って、不快感を与えることを言うらしい。「知らない」ことは「嫌い」だという感性が持つことが多く、でもその感情を隠して、相手の顔を伺いながらかばい合って表面的な付き合いをする。それは「自分の主張を通さず、他者を尊重するのが大人であって、美徳である」という日本人の感情が背景にあるのではないかと思う。そこには誰も望まないような価値観が育って、その場の空気を支配する。それが現代日本の最大の葛藤であるって僕は思うし、それを美しく表現するTeleが大好きであると確信したフレーズ。
「ダクトの中に流れる暮らし≒額縁の中にしまう後悔 」
歌詞に「≒」を使うだと!?って思った。絶対重要な意味が隠れてると思うから考察してみようと思ったが難しい。全体には、失恋の曲だなって思ったけど、もしかしたら失恋の相手は「世間」なのかなって考えると面白いなって思った。空気のように速く流れている世界は清涼に感じるが、それを「世間」という名の額に入れると途端に醜く見えてしまう。気づかなくていいことに気づいてしまう、みたいなそんな意味なのかなって思う。動いていればきれいに見えるものも、止めると汚い、同じものを見ているって意味で≒記号を入れたのかなって。だって、ガラスの落ちているような世界だもん。
Tele本人もインスタライブで言ってたけど、Teleの曲の冒頭には素晴らしいフレーズが多い。最高だよね。
まったくまとまらない駄文だけど、自己満ですっきりした。
それじゃ、おやすみ。